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品川宿ぶらり、荏原神社の緋寒桜 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                               .by ぼくあずさ


2月13日、昨夜からの雨が上がり、青空が広がる絶好のWanderung
日和、目黒川畔にある荏原神社の早咲きの緋寒桜見物の目的を果たした。2回ほど道に迷った品川宿、雨後の為なのか綺麗に感じられた。

旧東海道が八ッ山橋に突き当たる処、横浜方面からの京急が走りを弱め、車輪をキーキー云わせながら京急品川駅へよろよろとたどり着く。
これを忌々しげに見送る人たちが立ち並ぶ踏切があるのだが、初めてのこと、今日ばかりは私が主人公でした。

新宿京王ホテルの社長、早大電気科卒の知合いの方にご馳走になった折に伺ったのだが、京王電鉄に就職時はダイヤ図を作成するスジ屋を勤めたそうだ。ホテルマンとスジ屋、共に利用者の安全とサービスが第一の仕事なのだそうだ。

IMG_5401.JPG青物横丁駅下車、左折して大学箱根駅伝のコースになる国道一号を渡り、200㍍ほど南下した処にある広い境内、江戸時代は紅葉の名所として知られた。1251年開山の曹洞宗海晏寺。 岩倉具視や白井鳥酔の墓があるが、今日も所在知れず。

IMG_5402.JPG1285年開山の顕本法華宗別格山鳳凰山天妙国寺。
漸く東電の街中の電線埋設の計画が始まったのに、菅・枝野による東電破産政策により、すべてストップ。フリューレン村には電柱がないのに、大都市東京は美観を損なう電柱・電線ばかりが目立つ。
10年計画で都市の電線埋設化を進めて欲しい。自民政治の出番!!

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1463年開山の時宗長徳寺。堂内に大きな閻魔様が見えました。






IMG_5404.JPG848年開山、天台宗熊野山報恩院常行三昧寺。
嘉祥元年(848年)に創建,
、慈覚大師の開山。長保年間(999~1004年)には武蔵・相模に末寺500余を数たが、その後衰退
大永7年(1527年)に再興、承応2年(1653年)に現地に移る。
本堂は、寄棟造の建物で享保年間(1716~35)に再建された。
門前の城南小学校創建之地。(明治七年十二月五日)の碑がある。

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日蓮宗の自覚山松陽院海徳寺を参拝してから山門を出て直ぐ左の狭い道の先に目黒川が見える。
迷わず進むと、右手に荏原神社への朱塗りの欄干橋が見える。




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和同二年(709年)に建立、6月の天王祭と緋寒桜で知られる。

今年は開花が遅れ2月1日に蕾が硬いとの情報であった。今日は八分咲きでした。


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日章旗の昇降綱への下の結びが解けており、日の丸が紺碧の空に翩翻する状態ではありませんでした。暫くシャッターチャンスを狙いましたが、半ば諦めてのパチリです。

帰りの鶴見川の鉄橋を渡る京急の車窓から夕日に浮かぶ富士山の神々しい姿に見とれました。


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水仙の観音崎Wanderung -1/2 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                             .by ぼくあずさ

寒さで開花が遅れた水仙見物、2月5日天候不順から東京湾フェリーを敬遠、安房江月を諦めて陸続きの観音崎にしました。此処は主祭神、日本武尊、弟橘媛がおわす走水神社があります。

京急馬掘海岸駅を出たバスは走水の水道遺跡を過ぎ右に大きく曲がると程なく走水神社バス停、数人の地元の小母さんの後を追って下車。
山手の小道の先、急な石段の上に社殿が見える。何時もは湧き水を汲む、今日は両手を清め、口を濯ぐ。
地下水なので温かい。

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参拝後美しい走水の海が眺望できる斜面に恒久王妃昌子内親王筆の弟橘媛命記念碑が建つ。裏面には建立の趣意と東郷平八郎、乃木希典らの発起人7名の署名が美しい字体で彫られている。

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更に斜面を登ると西暦10年に建立されたという古代稲荷神社跡と右から須賀、神明、諏訪の三ノ宮がある。




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石段下右に弟橘姫が入水したお姿をした青銅製の舵の碑がある。弟橘姫が荒海を鎮めた伝説に因み、航海の安全を祈念して1975年に建立された。

1983年には舵の碑の手前に針ノ碑が建立され、以後毎年針供養が行われています。





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草枕旅の寝の紐絶ば        あがろ これ針持し

万葉集20・4420 椋椅部弟女(くらはしべのおとめ)


万葉歌碑 神奈川県
http://achikochitazusaete.web.fc2.com/manyoukahi/kanagawa/kahi14.html
畠山重忠終焉の地Wanderung -3/3  [フリューレン村だより]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-10-04-6


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鶴見区東寺尾台地Wanderung [ぼくあずさの寺めぐり]

                                                                            .by ぼくあずさ


昨23日、雨上がり。生麦駅から東寺尾台地の神奈川区との区境の尾根道を歩き始め、松陰寺から入江川跡の親水公園から国道1号を越え、総持寺を訪ねました。
入江川は東寺尾の台地の西側を左周りに横浜線大口駅辺りから開口した川になり2㌔下流のJR新小安駅と子安駅の中間地点で京浜工業地帯の東京湾に流出しています。鶴見川の支琉ではありません。

国土地理院の地図で事前に地形を記憶した上で、手書きの地図を持参しておりましたので、磁石を見ることもありませんでした。

福寿弁財天.JPG
















つい先日、Sone 友の獏さんの記事に書かれたキリンビール工場のある生麦駅下車。やたら長い構内を歩いて南口改札口へ。地上に降りることなく、これ又長い渡線橋を渡る。商店街の先にある安養寺入口手前にある福寿弁財天です。病気快癒の霊験あらたかだそうです。

脇の細い坂道を道なりに進み、国道1号を渡って急坂を登り終えると、そこから区境の尾根道が始まります。

松陰寺.JPG松陰寺2.JPG








松陰寺3.JPG松陰寺4.JPG












松陰寺1.JPG
















臨在宗建長寺派仙鶴山松陰寺。1334年に開基は鎌倉建長寺第3世仏寿禅師が創建された。自宅近くの称名寺と同じ北条の三つ鱗の家紋が見える。木造の仁王像はお堂前にあり、雨風に曝されて朽ちている。

松陰寺を参拝後、緩やかな坂を北上すると水道道沿い手前に入江川跡に整備された親水公園、右折して川上へ。暗渠の上を流れるせせらぎは汲み上げた地下水のようだ。

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総持寺への寺尾台地からの眺め。東電のガスタービン発電所の煙突と湾岸道路の扇橋が見えます。

総持寺.JPG総持寺2.JPG








総持寺3.JPG
















総持寺の墓所の脇から境内へ。曹洞宗大本山総持寺は私が春のお花見をする三つ池公園へのバス発着場があるJR鶴見駅西口近くにあり、お馴染みのお寺さんです。

鶴見駅から京急川崎駅まで松尾芭蕉が眺めた景色を思い浮かべながら平地続きの旧東海道を歩きました。鶴見駅周りがとても素敵に変っていましたが、写真なし。


建長寺管長法話
http://www.youtube.com/watch?v=ep3LSwliatM&NR=1


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西柴点描:大晦日Kleine Wanderung [ぼくあずさの寺めぐり]

                                              .by ぼくあずさ


初詣を予定している称名寺と薬王寺と序に寺町・八幡社と町屋神社をまわり、海の公園を歩く。2012年最終Kleine Wanderung です。

柴町第2公園.JPG
















金沢町第2公園は元々明治時代のお屋敷跡だが、此処に尾崎紅葉が逗留していたそうだ。説明板はないが、当時の大木が残っている。

称名寺赤門.JPG
















赤門.JPG
















称名寺参道.JPG














称名寺赤門を通り抜け石畳の参道を歩く。提灯は点灯されていない。

阿字ヶ池.JPG
















称名寺金堂.JPG
















阿字ヶ池には何故か水鳥の姿はなし。
屋根が緑青で目立つのが金沢八景「称名晩鐘」の鐘楼です。鐘が老朽化したとの理由で昨年から、除夜の鐘として突かれることはない。

薬王寺鐘楼.JPG
















赤門前の薬王寺の梵鐘。我が家で日々朝晩6時に刻の鐘が聴こえるのは、この鐘です。

寺町・八幡社.JPG
















赤門から南下した処の右側に八幡社がある。右の狭いバス道路は真っ直ぐ北上して今来た赤門に突き当ります。左の道路は君ヶ崎の交差点を経て上大岡通りへ繋がる旧国道16号です。

町屋神社鳥居.JPG
















八幡社から旧国道16号を南下すると程なく交差点があり、右折するとすぐ左に町屋神社がある。境内には篝火の準備が終えていました。

横浜八景島.JPG
















左折して道なりに歩くと金沢小脇をへて海の公園に突き当ります。大晦日と言うのに海上ジェットコースターは稼働していました。
108つ鐘の音が響き、新年を迎えると花火が盛大に打ち上げられ、汽笛が一斉に鳴らされます。

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西柴点描:称名寺阿字ヶ池 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                            .by ぼくあずさ


12月12日、北朝鮮が長距離弾道ミサイルの打ち上げに成功したとの情報を知り、思い立って北条実時が元の侵略への対抗策を考えめぐらしながら、歩いたであろう阿字ヶ池畔へと向かった。

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写真左は仁王門手前左にある石仏群の中にある破損した石碑。
正面に「金沢札」、右面に「本尊」、左面に「長浜山慈眼院聚海寺」の赤字が読める。赤門脇にあった福聚海寺の御本尊は露石仏であったのだろうか。後日調べることにする。写真右は来年2月11日までの県立金沢文庫で開催の「法華経の世界」。写真はクリックで拡大します。

IMG_4928.JPG 
















池を右回りする。境内を散策する人はまばら。午後から急に冷えて来ました。薄手のジャンパーでは寒さが堪えます。
 

IMG_4929.JPG
















IMG_4930.JPG











 




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金堂と釈迦堂の間から日向山麓の夕日を浴びて輝く紅葉を撮影しました。
1週間後には一葉残らず地面に落ちて春の新芽の準備に移る。






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水面に浮かぶ鴨の数が1ヶ月前の6、7羽から30羽程に増えていました。餌が足らないのか岸辺に立つと集まって来る。

平橋と反橋を渡り、帰路に就く。1時間ほどのKleine Wanderung.


西柴点描:称名寺阿字ヶ池、秋の訪れ [フリューレン村だより]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-11-12-1 
西柴点描:金沢三山Wanderung -1/2 [フリューレン村だより]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-10-09-1
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今朝の話題:法性寺の般若面 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                              .by ぼくあずさ


久々に朝刊を読みながらの長風呂から上がると雨音は止んでいた。
pcを開く。時々懇の学友たちからのメールに目を通す。

時々懇は主に都立戸山高校卒の学友が2ヶ月毎に品川・ツバメグリルでのビヤを呑みならお喋りするとても愉快な集まり。俳句、趣味の切手、汽車、船旅と「終活」など話題が豊富。私は昨年1回だけ参加したのだが、世話役の森田さんのご配慮で今回も集合写真を受領。感謝!
1年半ぶりに「終活」に無縁な元気な姿を拝見。
10月の稲門祭に合わせての機械科のクラス会でお会い出来なかった方が多い。


紙面に秩父・法性寺の大きな白い般若面が紹介されていた。見た記憶がない。
今年4月に満願達成が計画倒れになった第32札所般若山法性寺でした。


秩父34観音札所めぐり:延期のお知らせ [ぼくあずさの寺めぐり]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-04-18-4
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西柴点描:称名寺、銀杏拾いと水鳥 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                              .by ぼくあずさ


長く続いた猛暑が漸く終焉したが、なお書斎は23℃ある。午後4時少し前、称名寺迄の1時間弱のKleine Wanderung.に出発。道すがら海風が強いのか西柴小裏の尾根と金沢三山の木々がざわざわと騒いでいる。海の公園へ向けて下る緩やかな坂道の歩道は向い風となる。

称名寺仁王門.JPG
赤門を抜け石畳の参道の先、西陽を浴びた仁王門。阿字ヶ池を右回りに歩き、金堂前から平橋と曲り橋を渡って帰る。
写真はクリックで拡大します。








称名寺曲り橋.JPG
















西岸に聳える銀杏の大樹、葉は黄葉していないが、強風で実が落ちる。待ち構えて拾う人あり。ぶら下げたビニール袋は重そうに見える。

阿字ヶ池の鴨.JPG阿字ヶ池の水鳥.JPG








平橋の上から水鳥を撮影。北国から越冬の為に渡って来たのだろうか。疲れているのか動きが静か、餌は食べられたのだろうか。

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先ほどまでカラスが群れ飛んでいたのに、今はトンビが乱舞している。
新来の渡り鳥への警戒・威嚇なのだろうか。


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西柴点描:10月2日、称名寺のハコボレ [ぼくあずさの寺めぐり]

                                              .by ぼくあずさ


10月2日になって、ようやく見ごろを迎えた。何時もなら大勢の見物客がカメラを構えている辺りも閑散としている。
風が吹くと銀杏の実がぱらぱらと転がる。
先日、阿字ヶ池畔に咲いていたハコボレは既に散っていた。

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IMG_4533.JPG昭和14年(1939)11月に植樹された塊樹。背後の石造りの柵は
金沢顕時・金沢貞顕親子の墓所。説明板はクリックで拡大します。




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墓所近くのハコバレ

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写真を撮影してから海の公園を散策。20人ほどのプロ?のアサリ獲りが沖に見える。
暫し松風に吹かれていると10艇程のウインドサーファーが現れる。あれれ、何時の間にかアサリ獲りの小父さんたちの姿がない。
 
 
西柴点描:称名寺再訪 [ぼくあずさの寺めぐり]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-09-29 
西柴点描:旧伊藤博文金沢別邸 [フリューレン村だより]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-10-01-1 
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西柴点描:称名寺再訪 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                          .by ぼくあずさ


IMG_4456.JPG此処数日、近く(100㍍)の運動場から太鼓の音と声援の声が聴こえる。運動会の練習だ。
濡れ縁の先に赤いハコボレの最初の一輪が開花した。 台風の影響の強風は収まりつつある。時折、雲の晴れ間から強い日差しが射す。
書斎は26℃、73℃、心地好い冷気が流れる。

昨日午後4時から連続4日目のKleine Wanderung に出掛けた。コンデジを持たず。
IMG_4481.JPGヒガンバナの咲く箇所は少し増えたが、見ごろはまだ先の様だ。阿字ヶ池西側の旧金沢文庫跡の北側にある楷樹(和名は孔子木)が随分と樹勢が増した。湯島孔子廟と足利学校にも植えられている。
写真は採取した一葉。手元に置いてあるSagaraの
独日大辞典の928頁に挿む。

北条貞顕.jpg樹の北側の台地に北条顕時、北条貞顕親子の墓がある。北条15代執権貞顕の墓から出土した青磁壺にめられていた遺品から右が顕時、左が貞顕の墓であることが分かった。

金堂の扉が1尺ほど開いており、堂内は電燈が点いていた。弥勒菩薩立像がおわす厨子の扉は閉ざされていたが、その両脇に仏像がある。
.
1時間半ほど歩いたが、歩く速度がいくらは早くなっ.た。Kleine Wanderung の効果だろうか。


西柴点描:称名寺のハコボレ [フリューレン村だより]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-09-26-1


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西柴点描:小柴・熊野三社宮 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                       .by  ぼくあずさ 


IMG_4460.JPG Kleine Wanderung を始めて3日目、西柴小脇の石段を登り、尾根道を経て熊野三社宮のある権現山を目指す。台風接近の影響で可也の強風、雨は降らず。
写真は西柴小、金沢山(かねさわさん76㍍)の頂きが見える。
 

娘二人が小学生の頃は梅林があったり自然が一杯の素敵な裏山であったが、今は不必要な広い道路が縦横に走り、野菜畑やみかん林
が続く。

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小柴漁港と八景島シーパラダイス

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IMG_4470.JPG権現山への尾根道、柴隧道の真上から小柴部落を俯瞰する。中央に帰路に立寄った宝蔵院の屋根がある。境内のハコボレはまだ開花していない。



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IMG_4468.JPG熊野三社宮の背後から神殿前に廻り込む。
境内は大樹が生い茂り、石段の前方にある小柴漁港と八景島シーパラダイスは残念ながら見えない。
実際の石段は可也の急です。新しくステンレス製の手摺が中央部に付けられています。




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可也の数の底引き漁船が係留している。小柴のシャコが姿を消して久しい。東京湾の海底土が酸欠状態になっている。シャコは死滅したと言われる。アナゴは狭い海域に集まっているので豊漁が続いている。
 
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能見堂跡地の手前、国道16号の西側に住宅が立並ぶ。そのずっと先、横々道路に沿った金沢自然公園と大丸山(156.8㍍)から円海山(153.3㍍)へ続く尾根道の上に霊峰富士の美しいシルエットが見える。
最初の写真と同じ場所で撮影。


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西柴点描:「武家の古都・鎌倉」、ユネスコ現地調査 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                                 .by ぼくあずさ


13年ぶりの水不足の関東地方待望の恵みの雨が昨日から降り続く。
Sone友、夏炉冬扇さんのブログ記事に彼岸花が掲載された。急いで庭を覗くと確かに芽が出始めていた。

biwanoki].jpg我が家から南西直線距離130㍍の処にある「称名寺市民の森」に金沢文庫で有名な称名寺がある。
写真は金沢三山の一つ日向山。その後方に拙宅。
中央の木は娘が小学生低学年時に植えたびわ。

9月24-27日の予定で中国人王力軍調査員が称名寺を含む構成資産21箇所を現地調査する。調査結果は来年5月にユネスコ世界委員会に勧告され、同6月に世界遺産登録の可否が決まる。なお、「富士山」は8月に調査を終えている。

higanbana_200709025_2[1].jpg1ヶ月ほど前に称名寺赤門へ向う旧道を外人さんの団体が歩いていた。今まで見たことがない光景だった。ユネスコ調査隊だと勘違いした。
多分、予備調査だったのだろう。本番の調査日には阿字
         ヶ池畔の彼岸花が一行を迎えることになる。

鎌倉市は湘南工科大学と共同でHPを制作運営している。
二階堂にあった永楽寺(ようらくじ)の姿をCGで見ることが出来ます。


「古都」遺産アピールなるか 24日から鎌倉調査
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20120922-OYT8T00064.htm 
「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録を目指して
http://www.shonan-it.org/kamakura/ 
称名寺界隈のハコボレ
http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2007/09/post_b98b.htm


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秩父34観音札所めぐり:延期のお知らせ [ぼくあずさの寺めぐり]

                               .by ぼくあずさ


昨年は4月21/22日に何処も梅、桜、桃が咲き誇る秩父路を歩いた。
明日19日から予定していた31、32、33、34番めぐり、満願のお遍路は現地天候不順の最新情報から延期することにしました。それで、19・20日の両日もブログ管理は無休です。

 

31-34番札所は徒歩区間が長く、高低差が大きい山中のお遍路道があり、最大の難所です。国土地理院の地図閲覧サービスから徒歩ルートを紙に書き写し、地形を記憶します。この作業は私の徒歩お遍路に欠かせないものだが、歩く時は地図不要。

 

なお、第34番水潜寺への札立峠(590㍍)越えは安房・富山(349.5㍍)と高低差と勾配は略同じ位かと思われる。危険個所はない。 



秩父34観音札所めぐり:第二回 -7/7 [ぼくあずさの寺めぐり]

http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-04-28-1 

久しぶりの安房・富山Wanderung [フリューレン村だより]

http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-01-28-2


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お稲荷さんには、お寺さんもあるのだ!! [ぼくあずさの寺めぐり]

                                                                             .by ぼくあずさ .

.Kohyanさんのブログ記事「赤坂豊川稲荷・節分会」に記載の写真を拝見したら、あれ、寺社の区別をする私の常識に疑問が生じた。       Wikipediaには伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本社」と記述。処が「豊川稲荷」はお寺さん。

私の今までの認識:

1.「お稲荷さん」は全て「神社」

2.神社の社殿には「鈴」、寺の本殿には「鐘」が吊り下げられている

3.参拝時、神社は「拍手」、寺は「手を合わす」

.

処でKohyan さん撮影の写真によれば:

1.「鐘」が吊り下げられている本殿内部は御本尊荼枳尼天

2.「鈴」が吊り下げられた小さな社殿前で「手を合わす」受験生らしき

     女性の姿

.

ぼくあずさのComment

1.神仏分離・廃仏毀釈の明治維新の一時的な混乱はあったが平成

     の今、神仏混淆は日本人の心から消えることはない

2.大多数の日本人なら山門を潜り本殿に進めば無意識の内に

     仏教徒の、鳥居を潜り社殿に立てば神道の作法が蘇る

3.今まで通りに社寺を参拝すればよい。日本の神仏は昔から寛容

     なのだから

.

赤坂豊川稲荷・節分会   Kohtyanさんにリンクの許諾願い中です!  

http://kohtyan.blog.so-net.ne.jp/2012-02-21 

豊川稲荷東京別院

http://www.246.ne.jp/~ziggy/


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弘明寺・井戸ケ谷ぶらり [ぼくあずさの寺めぐり]

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金沢文庫駅→ 弘明寺駅→ 徒歩→ 弘明寺→ アーケード街往復→ 弘明寺坂→ 平戸桜木道路→ 井戸ケ谷交差点→ 井戸ケ谷駅→ 金沢文庫駅

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横浜最高気温28℃の予報、熱射病の危険もなし、久しぶりのWanderung に出発。金沢文庫駅改札口は閑散としている。金沢地区散策の団体客はとっくに通過している時刻の10時半。空々のエアポート急行、10分で弘明寺駅に到着。

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昼食を予定していた駅近くの「とんかつ喜多八」、店仕舞いの張り紙。30年前に創業とあるから経営者が歳老いて廃業したのだろう。やむなく観音様参拝後、地下鉄弘明寺駅近くの関寿しでにぎりを注文。清潔な感じの店、年配のご主人、まさに職人の手でにぎるすしはランチとは思えない味のよさ。お薦め。

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IMG_3601.JPGIMG_3600.JPG仁王門を抜け、急な石段を登る。木陰で吹き上げる心地よい風に吹かれ暫し休む。大抵は信心深い年配の方とお見受けする。

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弘明寺坂を登り、大通りを北上、井戸ケ谷交差点右手前、直ぐにお目当ての和菓子店「登喜和」を見つける。特別な店とは思えないが、美味しい店と地元の方から聞いていたので3種類ほど土産に買い求める。

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駅近くのハヤトに寄り冷房で火照った身体を冷やしてから、帰路につく。 4年前、東国88観音札所めぐりをした時の記憶が蘇る。過ぎゆく歳月の早さを思う

坂東三十三観音札所めぐり(2): 弘明寺

http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_0d50.html


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品川宿:しばり地蔵と富士塚 [ぼくあずさの寺めぐり]

                                                                             .by ぼくあずさ.

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7月8日、中学の学友二人は上野駅下車、私一人東京駅へ。品川つばめグリルで食事後、炎天下の品川宿を歩く。

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IMG_3596.JPG品川大明神

国道一号線、川崎方向右手にある品川大明神、京急の車窓からよく見える富士塚は3月11日の東北大地震で崩れたのか、石段の途中にある登山口は閉鎖され、初登頂はお預けとなった。私の実家の古い屋号は富士一登駿河屋ですから、まんざらご縁がないとも言えない。写真はクリックで拡大します。 源頼朝が安房の洲埼明神から天比理乃命(あめのひりのめのみこと)を文治3年(1187)に勧請した。    私は早稲田大学自動車部の新人館山冬合宿の際に安房の洲崎明神を訪ねた。長い人生の時空を超えた記憶が蘇る

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IMG_3597.JPGしばり地蔵(願行寺)

数年前の朝刊に東京にある3つのしばり地蔵が紹介され、気になっていた。南品川の他は小石川の跡見学園近くと葛飾水元。いずれ訪ねてみたいと思う。

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観光案内図には書いてあるのだろうが、ご近所の方に訊ねても判らず、ぐるぐる探すことになっIMG_3598.JPGた。願行寺は浄土宗の寺で趣のある大きな本堂と広い境内が印象に残る素敵な空間だ。

お地蔵さまの頭首は外れる様になっているとか、摩訶不思議で、少々怖い江戸時代の庶民信仰の現場に迷い込んだような気がする。

中学写真部仲好し三人組:水上温泉の旅 [フリューレン村だより]

http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-07-09-4 

房ノ大山ハイキング

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2007/06/post_dd9c.html 

南總里見八犬傳(5):洲埼明神 

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2007/01/post_02b4.html


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2011GW寛永寺と根津神社 [ぼくあずさの寺めぐり]

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 5月4日、谷中根津を歩く。東北大震災で今年は桜の花見気分が失せていたが、ようやく東電とメーカの懸命の努力により、福島第一原発1号機タービン建屋内に、明日にも作業員が入るとの東電発表があった。  原発が危険な状態を脱し、人々の気持の負担は幾らか軽減された。

 上野恩賜公園から溢れ出た遊行者の波で谷根地域は混雑。それでも京急の行き帰りの快速電車の車内は楽に座れた。

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IMG_3502a.JPG東叡山寛永寺秘仏御開帳

写真の根本中堂は川越喜多院より明治十八年(1885)に移設された。伝教大師最澄自彫の秘仏瑠璃光薬師如来像(国宝)の御開帳に居合わせたことは仏縁である。すべての写真はクリックで拡大。

根本中堂に上がる。中央の厨子の扉が開かれ、金色に輝く薬師如来像を拝観。両脇に十二神将像、これも金色の見事なもの。

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根本中堂前、地震で倒れた石燈篭。右手に了翁禅師の石像がある。  凄味のある顔立ち、並みの僧侶とは違う。貞享元年(1684)に寛永寺境内に勧学講院を開設、私が学んだ中学の起源である。

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東叡山寛永寺

http://www.kaneiji.jp/history/ 

勧学講院の設立

http://aios.cityyuzawa.jp/contents/webyuzawa.nsf/image/08b88eece48d9e5c4925737e0019c6ce/$FILE/10-11.pdf 

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IMG_3507a.JPG根津神社つつじ祭

寛永寺から言問通りの坂を暫く下り、不忍通りに交差、右折して左手にある。この時期、つつじ見物の人の流れが絶えることなし。

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IMG_3506a.JPG参拝の長い列を敬遠、大神輿を見物した後、不忍通りに平行した裏道を歩く。ABAB の近く、中学のクラスメイトの洋品店を覗く。学生時代も、卒業後も話したこともなかったが、了翁禅師のお導きなのか、中大法科卒業後家業に就いた彼と暫し立ち話。 御徒町駅前の吉池で鰻蒲焼きを土産に買求め帰路に就く。

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1号機原子炉建屋内の換気用ホース設置終了

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110505-OYT1T00423.htm 

原子炉建屋内に東電社員2人入る…水素爆発後初

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110505-OYT1T00337.htm?from=top


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秩父34観音札所めぐり:第二回 -7/7 [ぼくあずさの寺めぐり]

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第20番から第19番へ行くには秩父橋で荒川左岸から右岸へ渡る。

3月11日の大地震で、橋の袂までの急な石段が崩壊して通行禁止。  やむなく地元の方が教えてくれた廻り道を下る。

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第19番龍石寺

橋を渡って直ぐなのだが、ぐるり遠道した。お堂は大きな砂岩の上に建つ。巡礼団が御詠歌を唱えており、本堂前の崩れた石垣を大規模に修復工事中。

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曹洞宗飛淵山龍石寺、御本尊は千手観世音菩薩。 

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IMG_3488a.JPG第18番神門寺

次の第18番に向かう。秩父線の鉄路を渡る道を見損ない、国道229号に突き当り、ようやくのこと辿りつく。5時15分前なのに扉は閉まっていた。土地の年配の方が西武秩父駅まで送るとの親切な申出をお断りして、観音堂の正面に回り、写真を撮影してから、今日最後の第17番に向かう。

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曹洞宗白道山神門寺、ご本尊は室町時代作の聖観世音菩薩。

観音堂は天保時代(1830~1843)に再建。もとは第14番今宮坊に属する修験寺であった。

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IMG_3489a.JPG第17番定林寺

住宅地の中にある小さな観音堂、老婆が孫娘二人の遊び相手をしていた。鐘楼は昭和38年(1963)に再建された。梵鐘の下部の周囲に鋳出した西国・坂東・秩父百観音札所の御本尊と、その脇に   御詠歌が彫られている。

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曹洞宗実正山定林寺、御本尊は十一面観世音菩薩。

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夕刻5時半、鎮魂の梵鐘を突いて、第二回の観音札所めぐりを終えた。

18札所と2社を参拝、残すは第31,32,33,34番の4札所となった。


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秩父34観音札所めぐり:第二回 -6/7 [ぼくあずさの寺めぐり]

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第23番から第22番への道。随分と遠回りしたが、細い崖路を登り、脇から山門前に至る。

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IMG_3484a.JPG第22番童子堂

山門にある仁王像は素朴な木像、童子と係りがあるのだろうか。すべての写真はクリックで拡大。

田圃の畦に足を投げ出し、お結びを食べ暫し休憩する。県道72号の札所入口の石仏の処で記念撮IMG_3485a.JPG影。この石仏は河原にあるのかと想像していたが、寺と共に高台にある。

真言宗豊山派華台山童子堂、御本尊は聖観世音菩薩。  

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IMG_3486a.JPG第21番観音寺

県道72号を東に行くと左道端に観音寺がある。

何故か一人の女性の読経が、いつまでも止まない。やむなく、先を急ぐ。

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真言宗豊山派要光山観音寺、御本尊は聖観世音菩薩。

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IMG_3487a.JPG第20番岩之上堂

ここでも道に迷い、少々遠回りで到着する。

荒川の崖の上にあるのだが、僅かに窪んだ地形の底に花々に囲まれたお堂がある。静かな佇まい、音楽寺とは対照的な雰囲気の素敵な札所です。

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臨済宗南禅寺派法王山岩之上堂、御本尊は聖観世音菩薩。

建物は秩父34観音札所の中で最古、また宮殿形の春日式厨子と御本尊は藤原時代の作である。


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秩父34観音札所めぐり:第二回 -5/7 [ぼくあずさの寺めぐり]

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第二日目 2011-04-22

柴原温泉→ 武州日野駅→ 蔭森駅→ 徒歩→ 第24番法泉寺→ 第23番音楽寺→ 第22番童子堂→ 第21番観音寺→ 第20番岩之上堂→ 秩父橋→ 第19番龍石寺→ 第18番神門寺→ 第17番定林寺→ 西武秩父駅→ 西武池袋駅

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武州日野駅で上り電車を待つこと50分。定年後再雇用の駅員さんがホームの花壇の手入れに余念がない。3月初旬の1週間はホームから山の斜面に無数のカタクリの花を見物できる。紅葉は11月15日前後が見ごろになる。

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IMG_3476a.JPG第24番法泉寺

蔭森駅下車、荒川に架かる巴川橋を渡り右折。暫し歩くと、巡礼の人たちが弁当を広げている。私も上着を脱ぎ、武甲山を眺めながら小休止。

すべての写真はクリックで拡大します。

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IMG_3480a.JPGIMG_3479a.JPG其の先左手、116段の急な石段を登りきると観音堂がある。武蔵野国恋ヶ窪の遊女の大きな絵馬が目につく。

臨済宗南禅寺派光智山法泉寺、ご本尊は聖観世音菩薩。

IMG_3483a.JPG第23番音楽寺

ハーブ橋からミューズパークへの登りの自動車道路沿いの道を辿る。突然優しい鐘の音が聴こえる。

桜、桃、ヤマツツジなど満開の高みにある観音堂。橋の遥か先に秩父駅が望見できる。

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IMG_3481a.JPG「静かに鐘をお突き下さい」の立て札あり。

鐘身の下部に聖観音、不空羂索観音、十一面観音、如意輪観音、千手観音、馬頭観音の六観音が鋳出されている。東北大地震・津波の犠牲者の鎮魂を念じ、春爛漫の山に梵鐘音を響かせた。

http://www.youtube.com/watch?v=xEQvszjxRUE

続きを読む


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秩父34観音札所めぐり:第二回 -4/7  [ぼくあずさの寺めぐり]

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これから先、参拝する第16、14、13番札所は街中の狭い地域にある。

札所番号順ではなく、左回りに歩いた為、道順案内が整備されておらず、難儀したことを書き添えます。

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IMG_3472a.JPG第16番西光寺

秩父駅前から西方に伸び、荒川に架かるハーブ橋の先が明日参拝する第23番音楽寺のある丘陵、ミューズパークへの広い自動車道路。暫く歩き、左折した処にある。全ての写真はクリックで拡大します。

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真言宗豊山派無量山西光寺

御本尊は千手観世音菩薩。

http://www.youtube.com/watch?v=wvr57YGDdSw 

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IMG_3473a.JPG第14番今宮坊

臨済宗南禅寺派長岳山今宮坊、御本尊は聖観世音菩薩。

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IMG_3474a.JPG今宮神社

明治維新の神仏分離令により今宮坊から分離。広い境内に県天然記念物のけやきの大樹と、武甲山の伏流水の湧水がある。

秩父今宮神社 八大龍王宮

http://homepage2.nifty.com/imamiya/gosaishin.html.

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IMG_3475a.JPG第13番慈眼寺

お花畑駅眞近にある。

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曹洞宗旗下山慈眼寺、ご本尊は聖観世音菩薩、文明十八年(1486)、東雄禅師が開創。薬師堂の隣にある経堂に輪堂がある。輪堂は巡礼団一行に占拠されていた。

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柴原温泉、昔の柴原鉱泉の方がぴったりする山間の元湯治場。岩の割れ目から湧く水が混じった沢水は微かに硫黄の匂いがする。

岩盤の上にあるので、いつもは地震の揺れはないとのことだが、3月11日は例外的に激しい揺れを感じた。宿は地震で停電、その後、泊り客はぱったりと来なくなり、商売にならないと云う。

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ここから北3.5㌔に巴川温泉がある。地元の人も車を走らせること稀、この時期は桃源郷の趣がある。


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秩父34観音札所めぐり:第二回 -3/7  [ぼくあずさの寺めぐり]

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秩父市街に向かう国道229号をひたすら歩く。5年前の11月下旬、第10番大滋寺からの帰路、見覚えのある県道と国道の交差点に至る。そこから程なく右手高みに第11番が見える。随分と近く感じた。

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IMG_3465a.JPG第11番常楽寺

西方眼下に秩父市街と遠く両神山(1723㍍)が望まれる。全ての写真はクリックすると拡大します。

曹洞宗南石山常楽寺、ご本尊は行基作と伝える十一面観世音菩薩。

http://www.youtube.com/watch?v=jX1YgbPYBoo 

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第15番近くの秩父鉄道の踏切脇にある武蔵屋(蕎麦)。12時半から待つこと50分、ようやくモリソバにありつく。

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IMG_3466a.JPGIMG_3467a.JPG第15番少林寺

秩父鉄道の踏切を越えた処にある。

この寺は明治17年(1884)11月1日、吉田村で武装蜂起した3千人が小鹿野町の警察と高利貸を襲撃した後、第23番音楽寺の梵鐘を打鳴らし、現在の秩父市街に侵入した時は1万人とも言われる。秩父事件の歴史を伝える碑がある。

http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj050322.html 

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臨済宗建長寺派母巣山少林寺、ご本尊は十一面観世音菩薩。

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IMG_3468a.JPGIMG_3470a.JPG秩父神社

現存の社殿は天正20年(1592)に徳川家康公が寄進、数々の江戸時代の彫刻を見ることができる。左甚五郎作の「子宝子育ての虎」は一見に値する。

12月3日秩父の夜祭りは日本三大曳山祭りとして知られる。

http://www14.plala.or.jp/shibazakura/yomaturitop.html 


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秩父34観音札所めぐり:第二回 -2/7 [ぼくあずさの寺めぐり]

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第6番から第7番までの緩やかな坂、秩父市街の方向(西)へ下る。左手に見える武甲山頂を覆う雲は小さい。店頭に箱詰めの大粒苺が目に入る。パリでいつも買い求めたと同じ大きさ、しかも味は格別によい。水分補給と空腹、とれたての新鮮さと甘み、秩父路を歩く楽しみ。

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IMG_3462a.JPG第7番法長寺[牛伏堂]

脇道から入る。平賀源内設計の大きな本堂。高い床下は板が張ってあるのも、彼は防寒を考えたのだろう。写真はクリックで拡大します。

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曹洞宗青苔山法長寺、ご本尊は行基自刻と伝える十一面観世音菩薩。

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IMG_3464a.JPG第9番明智寺

急な石段を下り右折し直ぐ国道229号に合流、橋を渡り左折して道なりの坂道をのぼり、平らな道を行くと程なく第9番のお堂の屋根が見える。

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臨済宗南禅寺派明星山明智寺、建久二年(1191)、明智禅師が御開創。ご本尊は十一面観世音菩薩。

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IMG_3463a.JPG脇の道は三菱マテリアルのセメント工場からの大型トラックがひっきりなしに国道229号へ向かう。大学3年生の時、クラスメイト5人を誘って、日帰りで秩父ドライブした。帰路はセメント工場の構内で太い煙突をバックに記念撮影後、正丸峠越えした。宇部興産と旭硝子に就職した二人は、すでに亡くなった。


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秩父34観音札所めぐり:第二回 -1/7 [ぼくあずさの寺めぐり]

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第一日目 2011-04-21

西武池袋→ レッドアロー号→ 横瀬駅→ 徒歩→ 第8番最善寺→ 第6番卜雲寺→ 第7番法長寺→ 第9番明智寺→ 第11番常楽寺→ 第15番少林寺→ 秩父神社→ 第16番西光寺→ 第14番今宮坊→ 13番慈眼寺→ お花畑駅→ 武州日野駅→ 柴原温泉

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4月21日、久しぶりの秩父路、武州横手駅から正丸峠駅へ渓谷沿いの鉄路は新緑に分け入る。桜、桃、色とりどりの花が咲き誇る桃源郷だ。

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IMG_3456a.JPG定刻0853に横瀬駅に到着。8.6.7.9番の4寺は三菱マテリアルのセメント工場を囲む位置にある。寺が創建された昔は、武甲山は全山新緑に覆われていた姿が境内から眺められた。

IMG_3457a.JPG線路沿いを正丸峠方向へ引返す、セメント工場の敷地の端、正川に架かる橋と第8番最善寺の位置を確かめ、巡礼道を一旦下り、山裾が迫って来る右手奥、急坂を登る。

IMG_3459a.JPG

薄曇り無風、庭に植えられた木々が、仏の住む山里を花で飾る。元気で歩ける幸せを感じる。 .       写真は全て、クリックで拡大します。

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第8番最善寺

臨済宗南禅寺派清秦山最善寺、ご本尊は十一面観世音菩薩。       http://www.youtube.com/watch?v=LeTRVpORKMM 

.IMG_3460a.JPG第6番卜雲寺

正川沿いを下り、国道299号線を横断して,更に山麓沿いを歩く。急坂を登り地蔵堂を右折した処に本堂がある。眞南に武甲山(1295㍍)が迫る。

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曹洞宗向陽山卜雲寺[荻野堂]、ご本尊は行基作という聖観世音菩薩

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激しい雨音で目覚めた今朝 [ぼくあずさの寺めぐり]

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昨晩遅く秩父札所めぐりから帰宅、入浴も食事もせず就眠。2日間、17札所、約30㌔の鎮魂の旅が無事終り、安堵、熟睡していた。激しい雨音に目覚めたのは、暫く時を刻んだ後のことだろうか。  行方不明の多くの方が瓦礫に埋まっているのに、私はぬくぬくと朝寝していることに罪悪感を覚える。重機を使用した御遺体の発見作業が捗ることを願うのみ。

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第20番岩之上堂から第19番龍石寺へ。標高差30㍍の秩父橋のたもとへ下る急な石段は地震で崩落、工事中。目撃した地震の被害はここのみ。今も降り続く雨が、山岳地帯に恵みの雨をもたらすことを祈る。


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秩父三十四観音札所めぐり [ぼくあずさの寺めぐり]

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IMG_3482a.JPG3月11日東北大地震・津波は2万8千超の死者、行方不明者が出る空前の大惨事になった。合掌。

今日4月21日、2回目の札所めぐりに出発する。  鎮魂の旅となる。漢数字の番号は御参りした札所。赤字は今回参拝予定。22日、無事帰宅。      写真は第23番音楽寺の六地蔵、クリックで拡大します。

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第一番 四萬部寺

第二番 真福寺 

第二番納経所 光明寺

第三番 常泉寺 

第四番 金昌寺 

第五番 長與寺語歌堂

番 卜雲寺 

番 法長寺 

番 西善寺 

番 明智寺 

第十番 大慈寺

十一番 常楽寺 

第十二番 野坂寺 

十三番 慈眼寺 

十四番 今宮坊 

十五番 少林寺

十六番 西光寺 

十七番 定林寺

十八番 神門寺 

十九番 龍石寺 

二十番 岩之上堂

二十一番 観音寺 

二十二番 童子堂 

二十三番 音楽寺 

二十四番 法泉寺 

二十五番 久昌寺

第二十六番 円融寺岩井堂 

第二十七番 大淵寺 

第二十八番 橋立堂 

第二十九番 長泉院

第三十番法雲時

第31番 観音院 

第32番 法性寺 

第33番 菊水寺

第34番 水潜寺 

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秩父三十四札所めぐり

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2006/11/post_2888.html 

回目の札所めぐり:

いざ秩父路へ 2006-11-29

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2006/11/post_ab3a.html 

秩父34札所めぐり:第一回(1)

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2006/11/post_2225.html 

秩父34札所めぐり:第一回(2)

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2006/12/post_11d7.html


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逗子長柄、観梅と3寺めぐり [ぼくあずさの寺めぐり]

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好天に恵まれた昨8日、二子山登山の起点森戸川大山林道入口に到着したが、がけ崩れで厳重閉鎖、すぐ手前の小さな梅林、満開の梅の下でウグイスの初音を聴きながら早めの食事。阿部倉山 (156) 登山口の石仏群参拝をしてから葉桜を越えて神武寺駅まで歩くことにした。道順は下のリンク先をお読み下さい。

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IMG_3406a.JPG畠山地蔵(尼寺)跡

写真中央の梅の左奥台地にあった。クリックすると拡大します。

石仏が残る参道跡は左側から続く。阿部倉山への登山道は僅かに残るが、ここをよじ登れば広い道IMG_3407a.JPGが続く。山頂の展望が悪いので利用者が少なく、遠からず自然に戻る気配。なお、手前の畦道からは登れず。

長柄長徳寺は天文元年(1532)創建。畠山重忠(1164 - 1205)の念持仏、運渓道人作の地蔵菩薩立像を伝えていたが、平成15年(2003)に廃寺になり、近くの仙光院に移された。

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仙光院

高野山真言宗長谷山仙光院

狭い境内の左脇の地蔵堂は空っぽ。お目当ての高さ5㍍の地蔵立像はない。下のリンク先で写真をご覧下さい。

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背後の墓所の上の住宅群が本堂に覆いかぶさり、無残な佇まい。金儲けの為に鎌倉時代より続く寺の景観を容赦なく破壊する業者、それを許す行政に警鐘を鳴らしている。一度破壊されたこの惨状は、葉桜住宅地が放棄されるまで半永久的に回復することはない。

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東昌寺

高野山真言宗青龍山寺東昌寺

北条一族滅亡の折、鎌倉東勝寺から運ばれたご本尊大日如来像。その外に政子が我が子、実朝の冥福を祈り運慶に作らせた丈六阿弥陀仏が祀られた阿弥陀堂が池子に建立され、江戸時代初期に境内に移された。その後、享保12年(1727)の火災で、寺のすべてを消失しました。宝暦6年(1756)に再建された。その大きさに驚かされる。境内の右奥に国の重文である旧慶増院五輪塔が移設された。

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逗子長柄、ウグイスの初音 [フリューレン村だより]

http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-03-09-1 

葉山 阿部倉山

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2006/06/post_615b.html 

長柄仙光院 地蔵菩薩立像

http://www.hayama-npo.or.jp/hcsm/bunkazai/08.htm 

長谷山仙光院

http://www.senkouin.org/precinct/bishamonten.htm 

青龍山寺東昌寺

http://www14.ocn.ne.jp/~ks_tosyo/


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明治維新政府による仏教弾圧:戊辰戦争から「天台宗中学まで」 [ぼくあずさの寺めぐり]

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私は300近い寺めぐりを通じて、明治新政府による仏教弾圧、上地令、廃仏毀釈と太平戦争終了直後のGHQによる農地解放によって、ごく少数の観光寺院を例外として、経済的に困窮していること。過疎化と地方経済の崩壊から檀家収入も減り続け、悲惨な状態にあることを知った。これは、日本人の仏教心が希薄になる要因でもある。偶々、駒込だよりに副題にあるような内容が紹介された。

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年表

1.寛文12年(1672)禅僧了翁が東叡山寛永寺内に「勧学講院」を設立、

     天台宗中学のルーツ。僧侶600人の外、庶民400人の学問処。

     3万冊の蔵書を持つ日本最古の公設図書館

2.慶応4年(1868)、戊辰(上野)戦争。幕府軍、彰義隊は寛永寺を拠点

     とし、薩長軍は勧学講院(現在の芸大の地)を宿舎とした。黒門(表

     門)を残して建物は焼失し、院生400人は四散。表門は昭和41

    (1966)以降は西武の堤康次郎の浅間山観音堂の惣門として使用

3.明治新政府による神仏分離令、廃仏毀釈、上地令

4.東叡山が占めていた上野公園一帯は政府により没収

5.明治3年(1870)、政府により天台宗総本山は日光輪王寺から比叡

     山延暦寺に移る

6.4年(1871)、政府により勧学講院の土地および資金は没収

7.5年(1872)、「勧学講院」は比叡山延暦寺の直轄へ、「天台宗東部

  総黌」に 改める

8.9年(1876)、「勧学講院」の学頭凌雲院の境内を1345坪にする条件

  付きで返還された元の場所(2806坪)に「東部総黌」と「勧学寮(学

  問所)」(272坪)を再建

9.13年(1880)、天台定則を定め、本山に「大学林」、本山と東京に「中

  学林」、全国の寺院に「小学林」を置き、「天台宗東部総黌」は「天台

  宗中学林」に改称、定員50

10.18年(1885)宗制寺法の改訂、本山と東京に「天台宗大学」を置き、

  「天台宗大学支林校」と改める

11.19(1886)、学校令公布、明治27年(1894)には大学7人、支林校

  37

12.28年(1895)、「天台宗東部大中学黌」に改組、日本天台学を中心

  にした教科へ

13.32(1899)、宗教教育禁止令

14.37年(1904)「天台宗東部中学」および「天台宗東部大学」に分割

15.38年(1905)、「天台宗中学」に改名

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ぼくあずさのComment

1. 天台宗、特に東叡山が明治新政府により徹底的に弾圧され、「勧学

  講院」は消滅

2. 新政府の朝令暮改に翻弄された

3. 明治18年には大学林、中学林、小学林を組織し、成績優秀者を将来

  の天台座主にすることを決めた

4. 明治32年(1899)、教科は哲学史、倫理学、国語、漢文、作文、算術

  、英語、歴史、地理、習字を追加
5.対象4年(1925年)天台宗、真言宗、浄土宗の大正大学
     を設立。

6.天台宗以前からの他の宗派および鎌倉仏教各派は程度の差は

  あれ、大きな被害を受け、その傷跡が残されている
7.民主反日新政権のまき散らした毒素の解毒作業が国民の急務
     

禅僧了翁 波乱の生涯と功績                                                               http://aios.city-yuzawa.jp/contents/webyuzawa.nsf/0/acc97473d0c5ada7492572db000531b9/$FILE/p04-05.pdf


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初詣;称名寺と薬王寺 [ぼくあずさの寺めぐり]

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彼方此方の寺の鐘が鳴り始めてから、最近サイクリングを始めた次女が先頭になり、歩いて初詣に出かける。玄関を出て夜空を仰ぐと、夥しい数の星が見える。称名寺東公園前を経て、文庫幼稚園前を過ぎる頃は身体も温まり、海の公園へ向かう広い下り坂、両側に多数の車が駐車している。右折して称名寺赤門前へ続く道は、さすがに初詣の人の数が増える。

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2011-01-01 01.27.42a.jpg横浜市主催で称名寺本堂と庭園がライトアップされ、真昼の様な異様な光景だ。私の感覚に合わず。いつもは閉まっている仁王門、今日は参拝の人が通れる。

太鼓橋の手前、鐘突き希望の人の列は、1時終了2011-01-01 00.54.17a.jpgに間に合わず。迷うことなく、赤門前の真言宗医療山薬王寺へ向かう。ここは私たちが鐘突きの最後尾にぎりぎり間に合う。願い事をしてから鐘を突く。

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本堂の奥に御本尊が御開帳、両手を合わせ、誘導されるままに甘酒を戴く。境内は人気もまばら、紙コップに並々と注がれた甘酒、心も身体も温まる。ここ寺前地区の住人は、昔ながらの町内会の人たちの活動が盛ん。

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2011-01-01 01.19.21a.jpg大分人気が減った称名寺参道をへて、本堂へ。御開帳されている御本尊、釈迦如来立像(国重文)を拝んでから、池の周りを反時計方向にあるいて帰路につく。

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金沢文庫:称名寺の庭園と伽藍

http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-75cb.html


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師走-2:我家の札所めぐり [ぼくあずさの寺めぐり]

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IMG_3242a.JPGIMG_3238a.JPGIMG_3239a.JPG数年前から我家には母が終戦後に買い求めた実家の仏壇が飾ってある。神棚は一切ないが、玄関内の四方の壁には私が右回りに拝む順番に坂東三十三観音札所のIMG_3240a.JPGIMG_3237a.JPG日輪寺、野州大谷寺と足利の日本三佛大岩山毘沙門天と武蔵国大嶽山大口真神のお札が貼ってある。

毎日の生活の中での、嬉しいことの報告や願い事をする。

師走が押し迫ってくると、家で札所めぐりが出来るのは、何かと便利な事だ。


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平塚八幡社、大磯・善福寺、高来神社めぐり [ぼくあずさの寺めぐり]

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 129日、平塚宿・高麗山Wanderung の折に参拝した。

境内の北側に高麗山がまじかに見える善福寺、その紅葉は見事。

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IMG_3261a.JPGIMG_3262a.JPG平塚八幡社

平塚駅から北上、国道1号を渡った処にある。

御祭神 応神天皇、神功皇后、竹内宿補

聖武天皇(在位724-749年)が相州一国一社の霊場として法華経を奉納。源頼朝が政子の安産祈願をした。慶長年間(1596-1614)に徳川家康が参拝。現存する青銅鳥居は明和六年(1764)に建てられた。

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IMG_3267a.JPG大磯高麗・善福寺

国道1号花水橋を渡ってほどなく左側に見える。掃除が行き届いた気持ちの良い境内。折しも紅葉の盛り。本堂の西側に地蔵の岩窟があるが、元は縄文時代の横穴古墳。

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IMG_3268a.JPG浄土真宗善福寺

国府津に度々布教に来た親鸞から教えを受けた平塚入道了源が開基。

御本尊は阿弥陀如来立像(市重要文化財)、木造伝了源坐像 ( 国指定重要文化財 )があり、ガラス窓越し拝観した。写真は本堂前から見上げた青い空と、岩窟を撮影。

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善福寺

http://www.isotabi.com/miru-zempukuji.htm 

「平塚」の伝説的女性-「大磯」の虎とその周辺 その2

http://www.hirahaku.jp/web_yomimono/hirareki/hirareki09.html

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高来神社

2008-4-15に参拝した際のリンク先をお読み下さい。

坂東三十三観音札所めぐり(4): 小田原市

http://dorfflueren.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_71a5.html


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