蟹江城合戦 [秋川の流れ]
母のご先祖は鎌倉幕府初代侍処別当和田義盛です。1213年5月24日の和田会戦に敗れました。母の祖母杉浦スミは江戸城引き渡しの時19歳、江戸城内中奥(将軍政治の間)の女官でした。住まいは上野不忍の池畔、父親は8000石取の筆頭旗本、相模の国を知行していた。
横浜戸塚平戸にある杉浦陣屋が治世の中心です。8,9代後の和田落人二人が姓を杉浦(父杉本祖父三浦)を名乗り1585年蟹江城会戦に参戦、二本槍の活躍が徳川家康に認められ、三代将軍家光の代に勘定奉行となり復活した。幕末まで幕府に盾突く大名を取締まる役目を果たした。私の母は娘時代赤毛でした。私は見たことはありませんが私の鼻形はドイツ語教師Margareteによれば英国系北方ゲルマン人と同じ。伊達政宗の娘五郎八姫の血流です。独仏米の白人たちは私が視察したプラントの問題点を正直に教えて呉れました。東芝が技術導入した米マンハッタン島の30MW燃料電池視察では開発技師長から視察目的を聞かれ、条件が合えば技術導入したいと答えた処、やめなさいとの言われた。
秋川戸倉村野崎酒造喜正 [秋川の流れ]
「秋限定 『喜正 純米山田錦 一火入』蔵出し開始」
秋限定商品「喜正 純米山田錦 一火入」を販売開始いたします。ひんやりとした蔵の中でひと夏熟成し、山田錦ならではのまろやかさに深みが加わりました。
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私材木屋次男坊の基本設計の自宅 [秋川の流れ]
曾祖父西島角蔵は駿府伝馬町に居を構える家匠でした。私は早稲田大学で機械工学を学び横田
教授の勧めのあり自宅から通える富士電機川崎工場に入社した。後に判明したのだが長らく社
長を務められた浅草生まれの阿部さんは駒中(天台宗中学)の先輩でした。度々通ったモスク
ワの最終回は彼に同行した。終始大切にされたのは彼のお陰です。父は深川にあった日本一の
材木問屋武市に勤めていた当時青梅柱材買い付けで祖父野崎玉之助を訪ね母に出会い婚約した。
その場には杉浦スミさんも居られたに違いない。田端新町のバラックは家匠の技を守る父の遺
志で顧客の8人の棟梁方の若手と3人の皇居新宮殿建設に参加した宮大工が手間をかけて新築さ
れた。日銀総裁の弟三重野工場長が訪ねて来られ驚いた様子でした。
さて本論です。居間中央の手指幅(6寸5分)の通し柱は3階屋根裏部屋まであります。この柱
材は深川冨岡八幡宮の神輿の担ぎ棒の予備でしたが重すぎて担がれず不要になりました。
2階の壁は背板壁はBerghuette をイメージしたものです。
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【杉浦愛蔵(杉浦譲)】前島密とともに郵便制度を確立した男の生涯 [秋川の流れ]
【杉浦愛蔵(杉浦譲)】前島密とともに郵便制度を確立した男の
生涯と聞いていました。
彼は大隈重信に抜擢されパリ万博視察した、英国より9年あたらしい仏国の郵便制度を日本に導入した。文切手と銭切手を発行した。上野輪王寺境内に建てられた顕彰碑は前島密?の手で破壊され姿を消しました。徳川幕臣であり甲府勤番である彼の甲府にある顕彰碑は市民により大切に守られています。東京では顕彰碑再建の動きがあります。
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【鎌倉殿の13人】和田義盛とは?誰に殺された?その生涯や活躍を解説! [秋川の流れ]
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和田義盛 [秋川の流れ]
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