2011GW寛永寺と根津神社 [ぼくあずさの寺めぐり]
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5月4日、谷中根津を歩く。東北大震災で今年は桜の花見気分が失せていたが、ようやく東電とメーカの懸命の努力により、福島第一原発1号機タービン建屋内に、明日にも作業員が入るとの東電発表があった。 原発が危険な状態を脱し、人々の気持の負担は幾らか軽減された。
上野恩賜公園から溢れ出た遊行者の波で谷根地域は混雑。それでも京急の行き帰りの快速電車の車内は楽に座れた。.
写真の根本中堂は川越喜多院より明治十八年(1885)に移設された。伝教大師最澄自彫の秘仏瑠璃光薬師如来像(国宝)の御開帳に居合わせたことは仏縁である。すべての写真はクリックで拡大。
根本中堂に上がる。中央の厨子の扉が開かれ、金色に輝く薬師如来像を拝観。両脇に十二神将像、これも金色の見事なもの。.
根本中堂前、地震で倒れた石燈篭。右手に了翁禅師の石像がある。 凄味のある顔立ち、並みの僧侶とは違う。貞享元年(1684)に寛永寺境内に勧学講院を開設、私が学んだ中学の起源である。.
東叡山寛永寺
http://www.kaneiji.jp/history/
勧学講院の設立
http://aios.cityyuzawa.jp/contents/webyuzawa.nsf/image/08b88eece48d9e5c4925737e0019c6ce/$FILE/10-11.pdf.
寛永寺から言問通りの坂を暫く下り、不忍通りに交差、右折して左手にある。この時期、つつじ見物の人の流れが絶えることなし。.
参拝の長い列を敬遠、大神輿を見物した後、不忍通りに平行した裏道を歩く。ABAB の近く、中学のクラスメイトの洋品店を覗く。学生時代も、卒業後も話したこともなかったが、了翁禅師のお導きなのか、中大法科卒業後家業に就いた彼と暫し立ち話。 御徒町駅前の吉池で鰻蒲焼きを土産に買求め帰路に就く。.
1号機原子炉建屋内の換気用ホース設置終了
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110505-OYT1T00423.htm
原子炉建屋内に東電社員2人入る…水素爆発後初
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110505-OYT1T00337.htm?from=top
Liveさん、rtfkさん、吉之輔さん
ご訪問とnice ありがとうございました。
by ぼくあずさ (2011-05-06 16:17)
谷中と根津、一緒にして「谷根」、何と呼ぶのでしょうか。でも江戸の情緒を忍ばせる落ち着いた街です。
滅多に訪ねる機会がありませんが、たまに通ると気分が落ち着きます。少し離れますが、樋口一葉が住んでいた竜泉の辺りまでが何ともいえない風情を醸し出します。
私は俗に言う山の手生まれですが、やはり江戸から東京は下町に心意気があります。
by 村尾鐵男 (2011-05-06 18:45)
村尾さん
昨年休刊した地元紹介パンフレット「谷根千」から、定着した呼び名だそうです。私の中学は千駄木に所在しており、確かに寺が多い処ですが、谷中根岸とは、雰囲気が異なりました。子供の頃、よく龍泉寺の地名は聞きましたが、三輪辺りをイメージしていました。今まで、樋口一葉ゆかりの地を探しあぐねておりました。遅くも来春、桜の季節までに竜泉の一葉記念館と飛不動を訪ねたいと思います。
アルマさん、裏・市長さん
ご訪問とnice ありがとうございました。
by ぼくあずさ (2011-05-07 10:06)
この時期の谷根千は、根津神社のつつじなどで大勢の観光客でごった返します。いちばんいい時節ですね。
by cocoa051 (2013-10-18 11:43)
cocoa051さん
コメントvielen Dank!
by ぼくあずさ (2013-10-18 13:24)