ウクライナ避難民母子が秋田入り 民間支援団体が受け入れ [ウクライナ]
ウクライナ避難民母子が秋田入り 民間支援団体が受け入れ
Omega Sea Master [フリューレン村だより]
早稲田大学理工学部機械工学科入学祝いに母からOmega Sea Master を贈られた1957年の事です。母は米軍占領下にあった沖縄で買い求めた。私が富士電機に入社、1970年7月から1年間の戦後3人目のSiemens への企業留学に出発した。当然の事ながら私の左腕にはOmegaがあった。ドイツハンザ同盟都市Weselの中心地にはBerliner Tore があり、その前のKaizerhoff に最初の2ヶ月滞在、その後近郊のDorf FluerenにあるFrauSchmaink宅に下宿した。玄関を出るとブラボーという名の馬1頭がいる牧場の先にWaldschenke の大きな建物が見えた。土日は毎週luerener Waldの小道を行き黒松の小高い丘の麓にある
黒い池を周回して下宿に戻る。秋にはキノコを沢山採りました。
FraSchmainkは毒キノコを恐れて食べず、私は1個のみ焼いて醤で食べました。暖冬でしたので黒い池でのスケートは出来ませんでした。Omega の腕時計の革バンドをステンレス製に替えました。現在のものです、Dorf Flueren での想い出は後ほど折に触れ報告します、