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東京都のコロナ死者、1千人超える 2カ月で倍増 に関するニュース [コロナ禍]

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危険性が指摘される多剤併用 それでもやめられない3つの理由 に … [コロナ禍]


私の場合1人の女医さんが薬の数を減らして呉れたが、それでも多くの薬を朝昼晩に服用しています。医者の許可なく服用を止める訳に行かず


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柴犬コロとferret ツムちゃんの忘れ難き想い出 [犬猫・ferrets/動物]


子供の頃から多くの動物と暮らして来ました。田端新町の実家で暮らしていた

子供の頃、増戸村の叔父父の家によく遊びに行きました。秋川での水浴びとハ

ヤの按摩釣りが主な目的でした。ある時、確か北伊奈の荻島さんちから西と名

付けた雑種の子犬を貰って帰りましたが、数日後,いなくなりました。何故か明

治通リを渡った処の重井銘木店に挙げられていました。可愛がってくれていた

ので安心。やがて北千住のトンベイという材木問屋から茶色の柴犬の子犬を貰い

ました。やがてその子も行方知らずに、どうやら盗まれ食べられてしまったら

しいことでした。戦後間もない時代のとです。再度柴犬を貰いにゆきました。

コロちゃんは忠犬でした。やがて赤ちゃんを産みました。高1の時から文通を始

めた米国milwakee の女子高生JaneAmerell にTrickyと名付けられた。

やがて成犬になった彼はある落雷の日落雷に驚き、それを見た兄に蹴とばされ,家出

したまま行くへ不明になるという悲劇が起きました。私も兄に虐待された過去

が想い出されました。コロちゃんが年老いて死を迎える日、ヨタヨタ店に歩い

て来て、お茶を飲みながら談笑している母やお客様に最後のお別れの挨拶をし

てから裏にある犬舎に戻り息をひき取りました。

終生忘れ難いことです。Ferret のツムちゃんの別れも感動的でした。ゲージの

中で酸素ボンベの管で繋がれている彼女、私の呼び掛けに最後の力をフル絞り、

身体を少し動かし私に最後の別れをしました。玄関脇の甘柿禅寺丸の木陰に埋

葬されています。

次女の居候犬モコやferret のポン、テン、チロルやクララが代わる代わるマ

ママに抱かれて私が脳梗塞で倒れ90日間入院生活を送っていた頃磯子にある横

浜市立脳医療血管医療センターに度々見舞いに来てくれました。








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Hallo Peter なお、本日は私のルーツについて邦文で紹介します。 [秋川の流れ]

 Hallo Peter
なお、本日は私のルーツについて邦文で紹介します。
日本人は係る自慢話は好まれません。ご承知置き下さい。

私の父方の曾祖父は駿河伝馬町に居を構えた家匠(駿府徳川家お抱えの宮大工です。彼の血筋は私を迂回して娘達2人に流れました。長女はフェリス卒後多摩美術大学へ、次女は捜真卒後女子美術大学・大学院で学びました。
母の祖母野嵜(旧姓杉浦)スミは江戸城内中奥(将軍政治処)で女官を務めていました。彼女の父は8300石取りの幕府筆頭旗本です。母は彼女から幅広い知識を日々直接教えられました。
先の太平洋戦争の終戦直前の昭和18年、私が4歳の時94歳で波乱の生涯を終えました。私はは残念ながら長い葬列が孫の恒智叔父宅の前を通る記憶のみで、生身のスミさんの記憶がありません。
彼女の親族には大日本帝国陸海軍4人の中将と2人の少将がいます。マレーシアペナン島沖で英海軍駆逐艦隊が発射した30発の魚雷を受け爆没した海軍中将杉浦嘉平が艦長を務める重巡洋艦「羽黒」の写真を我家の玄関内正面に飾っています。私が初めて西ドイツSiemens TuW を訪ねた1970年クリスマスイブでお会いしたドイツ語会話の女性教師MargareteOnkel Teiohから君は50年前にドイツ陸軍Wesel師団に日本から派遣された2人の軍人がいたが、その再来と言われた。1人は東京大学電気工学科卒杉浦辰雄陸軍中将した。その後、Onkel Teioh の遺品から一つ選ぶ様云われたので、ドイツバイエルンKoenigseeの最奥部のデイアスを1枚頂きました。実は1971年に私は初めて乗った電動式遊覧船が左右の岩壁が狭まった処で停船、操舵員が甲板に立ち,トランペットを吹いてエコーを聞かせた後戻るコースを選んでいました。
曾祖母旧姓杉浦スミさんの墓所は増戸村伊奈中平にある成就院(横沢にある真言宗大悲願寺の分院)にあります。杉浦は桓武平家を祖とする三浦大介義明を直系ご先祖とします。これは恐れ多いことですが明治から今上までの天皇家と同じです。なお彼は源頼朝の鎌倉幕府成立の最大の功労者。家族ドライブで和田合戦の戦没者慰霊碑がある和田塚と三浦大介義明の墓碑がある来迎寺を訪ねました。コロナ禍騒ぎで三浦大介所縁の地めぐりの次の家族ドライブの予定が立ちません。



次に妻桃子、
旧姓石塚の一族について紹介します。父方の曽祖父は幕末に新潟県の神主の長男として生まれ、漢学者になるという志を抱いて東京へ。その一人息子は陸軍士官学校に進み、上官の中将の一人娘と結婚し、4人の男子にめぐまれた。四男である父は子供の頃、祖父の中将の鎌倉の別荘で夏休みを過ごしたそうです。父は早稲田大学評議員電気工学科名誉教授、伯父は北海道大学農学部長。兄は東京大学卒業後筑波大学名誉教授。正に学者一族です。


妻の母方のご先祖は薩摩藩の侍で、曾祖父は明治維新後、奈良の三輪神社宮司を務めました。拙宅の新築地鎮祭に地元瀬戸神社の宮司さんを車でお迎えした際何気なく三輪神社宮司の話をした処、硬直され会話不能に陥り、驚きました。祖父は宮司を継がず東京大学で学び、銀行勤務の後、貝島炭鉱会社の社長秘書になりました。三女の母は銀行勤務時代に神戸で生まれたと聞いています。                                                                                            Liebe Gresse
Momoko und Shoji


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 



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