私材木屋次男坊の基本設計の自宅 [秋川の流れ]
曾祖父西島角蔵は駿府伝馬町に居を構える家匠でした。私は早稲田大学で機械工学を学び横田
教授の勧めのあり自宅から通える富士電機川崎工場に入社した。後に判明したのだが長らく社
長を務められた浅草生まれの阿部さんは駒中(天台宗中学)の先輩でした。度々通ったモスク
ワの最終回は彼に同行した。終始大切にされたのは彼のお陰です。父は深川にあった日本一の
材木問屋武市に勤めていた当時青梅柱材買い付けで祖父野崎玉之助を訪ね母に出会い婚約した。
その場には杉浦スミさんも居られたに違いない。田端新町のバラックは家匠の技を守る父の遺
志で顧客の8人の棟梁方の若手と3人の皇居新宮殿建設に参加した宮大工が手間をかけて新築さ
れた。日銀総裁の弟三重野工場長が訪ねて来られ驚いた様子でした。
さて本論です。居間中央の手指幅(6寸5分)の通し柱は3階屋根裏部屋まであります。この柱
材は深川冨岡八幡宮の神輿の担ぎ棒の予備でしたが重すぎて担がれず不要になりました。
2階の壁は背板壁はBerghuette をイメージしたものです。
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