歌川広重 称名 [絵画]
私の父の曽祖母アキの父杉本は駿府伝馬町の浮世絵草子屋でした。
私の父廣雄と私の長女亜紀は何れも歌川広重に因みます。
杉本は1213/05/24の和田合戦の和田落人だと思われます。
私のご先祖は蟹江城の合戦で徳川側に付き7本槍の活躍をした二人
の武士杉浦、徳川三代将軍家勝の代に勘定奉行になり完全復活、
幕末には8400石取りの筆頭旗本、相模の国を治めていました。
私の母は15代将軍徳川慶喜の江戸城明け渡し、19歳の時まで江戸
城内将軍政治が行われた中奥で女官を務めていた杉浦スミから偉
い侍の仕来たりや社会の動きなどについて教えられました。
一男兄の弟の私への虐めの毎日でした。私が大火傷を負ったのを
機に彼の虐めは止みました。だが彼が受け継いだであろう祖父杉
山留吉の悪い血流は変わりません。逆説的に言えば兄姉二人が掬
って呉れたことは感謝すべきかも知れません。