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「インド西岸ゴア」ザビエルが眠る町で感じた悠久の時 に関す … [ポルトガル]

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父西島廣雄の想い出 [秋川の流れ]

a. 戦前の記憶:

1. 父と一緒の入浴時、頭を強く掴まれ石鹸で身体を洗われた記憶。          

2. 自宅の周囲に木製の塀、入口門屋根の上に大きなカボチャ、盗まれたが不味かった!   

3. 米空軍機B24による帝都初爆撃 昭和17年7月13日母と共に実家の防空壕に避難していた。

    けたたましくサイレンが鳴り、赤レンガ変電所に 投下された爆弾の爆発音が聞こえた。

    壕から出ると新町国民学校の校舎の上を主翼を翻す見慣れぬ敵機を目撃。父は自宅を留守

    にしていた。

4.昭和17年7月次女康江が誕生、父は2階に登って来たが、お産婆さんが「お嬢様誕生」を

 告げると男子誕生を期待していた彼は階段を降りてしまった。

5.母は父を家に残して兄姉が縁故疎開している増戸村の野崎叔父宅に私と次女を連れて疎開

 した。

6.終戦の年栗の花が濡れた庭に落ちる頃昭和20年6月、突然現れた父が庭にいた私を抱きあ

 げて呉れた。B29による帝都爆撃で実家は焼失し焼け残った下谷に避難していたに違いな

 い。

7. 8月15日は近所の人たちが多勢本家の庭に集まり廊下に据えられたラジオから聞こえる戦

 争降伏のお言葉を拝聴した。帝都爆撃に飛ぶB29の編隊の爆音は消えた。
8..父は田端新町の材木商再開の為上村に住む大工の田野倉と復員したばかりの昔の番頭を呼

   んで相談を始めた。 私を自転車の荷台に乗せて檜原村の本家に嫁い出来たタツ叔母の実家

   岡部家、和田落人7軒組である現在は森林大尽と呼ばれるを訪ねた。後に母が私の教育係

   に任命した下谷の従兄由隆さんに乞われて父が辿ったと同じ檜原街道を岡部家を訪ねた。

9. 戦前日本一の材木問屋武市時代の人脈を使い北海道の農産物を有蓋貨車で輸入した。内地

   の農産物とは別物の様な味の良さに驚かされた。戦後の食糧難を見越しての試行です。

 材木商再開が軌道に乗れば、武市時代に仕込んだ知識・人脈を使ったの事業拡大を考えて

 いたものと思われます。私を麦踏に連れて行ってくれた。一度は病弱と烙印を押された私

 は名誉回復していたのです。

10. 五日市線の線路堤に沿って植えた大豆は本家の敷地内の仮住まいの2階から良く見えた。

11. 母と子供達5人を乗せ引田の秋側の南岸にある六枚屏風にピクニックした。野生の蕗を収

  穫した。

12.  家族全員で立川の家作を訪ね山本の叔父が植えていたサツマイモを収穫した。

13. 父が武市の番頭時代にトラックに便乗して野崎玉之助を訪ね山のマークの青梅柱材の買

     付けに出掛けた折、母の祖母杉浦スミが育った上野不忍池畔の屋敷近くの下谷に実家が

     あり 祖父西島角蔵が家匠であること知った祖父玉之助は娘キンの婿にする気になったと

    思われる。母に異論があるはずもなし。直に母の東京二幸での料理教室通いが始まったに

    違いない。

14. 戦前、父は棟梁方を招いて秋川で鮎漁遊びを開いている。当然のことながら杉浦スミさん

 も父と交流している。だが、家族が伊奈の恒智叔父宅に縁故疎開中、私と父は昭和18年に

 他界された杉浦スミさんと残念ながらお会い出来ませんでした。

   後で気付いたのだが、私が亡くなった祖父玉之助の額を右腕の袖で拭いたと言伝えられてお

 り、この時曾祖母杉浦スミはこの場面に立ち会っていた。

 母を通じて私に性格と能力を与えて下さった杉浦スミさんに心から感謝しています。






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