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創作短編(53):女武者 巴御前 –8/8 [稲門機械屋倶楽部]

                             WME36 梅邑貫


巴御前の話からは大きく逸れるのですが、源頼朝のことに少しばかり触れておかなくてはなりません。それは、頼朝が非情冷酷であったと伝えられることです。

 木曽義仲は頼朝の父の兄の子ですから、従兄弟の関係にあります。
 又、よく知られているように、平氏の軍勢を破って鎌倉幕府の成立に功があった義経を奥州の地まで追討して自害に追い込み、義仲追討の主力となった頼範も謀反の疑いありとして家臣に殺させています。頼範も義経も頼朝の弟です。
 従兄弟や弟を殺してしまえば、非情とか冷酷と言われても止むを得ないのですが、頼朝は源氏の棟梁として、従兄弟や弟が京の雅やかさに漬かって武士としての使命を忘れ、特に坂東武士の強さに翳りを見せることを避けたかったようであり、そのために、頼朝の事前承諾なしに朝廷から官位を受けることを極端に嫌いました。頼朝は鎌倉に樹立した武家政権を護るために、京の朝廷との接触を最小限に抑えようと心掛けたと推測されます。

 一方で、頼朝は自分が伊豆へ流されて不遇であった頃に護ってくれた者や世話をしてくれた者には厚く応えています。その典型的な相手が北条政子です。伊豆の僻地へ流され、いつ殺されても不思議ではない頼朝に厚意を寄せて庇護してくれた北条時政とその娘の政子には終生の恩を感じており、政子を正室としてからは、源氏の棟梁としての頼朝はそれほど目立つ側室も持たす、その数も最小限と言えます。京の美女達を好きなだけ呼べたのに、頼朝は北条政子を常に盛り立て、政子が御台所として辣腕を振るうのを笑顔で見続けました。               (了)


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