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創作短編(53):女武者 巴御前 –4/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                     WME36 梅邑貫



治承四年(1180年)四月、後白河法皇の第二皇子である以仁(コレヒト)王が平氏追討の令旨を発し、源頼朝が八月に伊豆で兵を挙げ、九月には義仲も挙兵しました。このとき、義仲は二十六歳です。 

 このときの天皇は安徳天皇で、後白河法皇の孫に当たりますが、弱冠二歳であり、平清盛が政治の実権を掌握していました。

 しかし、この治承四年は全国的な凶作に見舞われ、源氏も平家も戦のための糧食を確保することができず、互いに空きっ腹を抱えて睨み合うだけでした。

 それでも越後方面から信濃へ攻め込んで来た平家方の城長茂(ジョウ・ナガモチ)の軍勢を義仲は川中島南方の横田河原で破っています。


 食糧事情が改善するのは二年後の治承六年(1182年)になり、ようやく源氏による平家追討の戦が本格的になります。

 木曽義仲による決定的な平家追討戦は倶利伽羅峠の戦でした。

 寿永二年(1183年)五月十一日、義仲の軍勢は越中礪波(トナミ)山の倶利伽羅(クリカラ)峠で、平惟盛が率いる十万の大軍を破り、源義仲は破竹の勢いで戦勝を重ね、遂に寿永二年(1183年)七月二十八日に京へ入り、京の街筋に久しぶりの源氏の白い旗を風に舞わせました。

 それだけではありません。倶利伽羅峠で勝って、京へ向かうのですが、その邪魔になる叡山の信徒をも抑えて、京へ凱旋しました。

 この創作短編の主人公は巴御前ですから、木曽義仲の話は少々急ぎましょう。


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