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創作短編(53):女武者 巴御前 –3/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                     WME36 梅邑貫


治承四年(1180年)、後白河法皇の第二皇子以仁王(モチヒトオウ)が平家追討の令旨を発しますが、これを受けて木曽義仲も挙兵します。
 木曽義仲の下には勇猛で知られた四天王が結集しますが、樋口兼光、今井兼平、根井行親、楯親忠の四人です。

 樋口兼光と今井兼平は本来は中原と名乗って、中原兼遠の次男と三男ですが、父親から樋口谷の統治を任された兼光は樋口と名乗り、今井谷を任された兼平は今井と名乗りました。
 根井行親(ネノイ・ユキチカ)も信濃でよく知られた武将で、義仲の家臣として大いに武勲を上げています。楯親忠(タテ・チカタダ)は根井行親の六男ですが、武勇に優れ、義仲四天王の内では最も若く、通称は六郎と呼ばれました。
 巴御前はこの義仲四天王には数えられていませんが、武将の一人として四天王と行動を共にします。
「六郎殿、よう働きなされよ」
「おお、誰ぞと思いきや、鞆殿か」
「私が後ろから常に見おりますぞ。気が緩みおったら、弓の先で突きますぞ」
「鞆殿に見張られておっては、一息入れることも出来ぬ。鞆殿、先に馬を進められよ」
「何を申す、六郎殿。そなたは四天王の一人。私より先に進まねば名が廃(スタ)れよう」

 冒頭で、巴御前を木曽義仲の便女と記しましたが、その巴御前がいつから義仲の愛妾となったかは不明です。
 しかし、子供の頃から「駒王丸、鞆」と呼び合って育った仲ですから、自然の成り行きでもあったでしょう。


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