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創作短編(53):女武者 巴御前 –2/8 [稲門機械屋倶楽部]

                              WME36 梅邑貫


「鞆は強いのう」
「駒王丸は弱いのじゃ」
駒王丸とは源義仲の幼名です。信濃とか甲斐の国、今の長野県西部や山梨県では、女の子も男の子に混じって武芸の稽古と鍛錬に励んだようです。
 今年の四月に連載された創作短編(42):板額御前の主人公である板額御前も信濃から越前に至る一帯の生まれで、男の武者に混じって堂々たる戦を示しました。

 木曽義仲は乳母の夫である中原兼遠に引き取られて育てられますが、それが信濃の地であり、兼遠の二人の息子である樋口兼光と今井兼平や、さらにその妹の鞆は子供同士の遊び仲間でもありました。

中原兄弟の妹である鞆は滅法強く、棒切れを持たせたら義仲でもときに負けてしまう強さでした。その上に大柄で、組み合っても「これでも女子か」と、義仲も驚く強さを発揮しました。
「鞆には敵わんぞ」
「何を申すか。次郎の弓が弱いのじゃ」
次郎とは成長してからの義仲の名ですが、鞆はいつしか強弓の技を身に着け、剣でも弓でも、取っ組み合いでも、男勝りの名手となっていました。

 実は、巴御前のことを書くには源義仲のことも欠かすことができないのですが、これが判りません。特に、木曽義仲が挙兵するまでの前半生が判りません。
 木曽義仲の出生地もよく判らず、大蔵館、即ち、現在の埼玉県比企郡嵐山町とする説と、上野国多胡郡、現在の群馬県多野郡とする説もあって、このいずれかと思われますが、未だ定説にはならず、木曽義仲は謎の多い人物です。


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