創作短編(50): 五十回記念 山岡鐵舟 -12/22 [稲門機械屋倶楽部]
2012-08 WME36 梅邑貫
山岡家は元々大きな借財を抱え、特にこの頃は貧窮のどん底にあって、山岡鐵舟も大小を手放していました。山岡鐵舟ならずとも、勝海舟の書を西郷隆盛に届けるのに、腰に大小を差したいところです。そこで、鐵舟は旗本で江戸府中取締頭である親友の関口良輔から大小を借りて身形を整えました。
駿府へ向う山岡鐵舟の道案内は薩摩藩士益満休之助でした。益満は西郷軍の先鋒として江戸へ密かに侵入し、江戸の街を撹乱する使命を帯びていましたが、町奉行に捕らえられて斬首寸前のところでした。その益満を勝海舟が救い出し、その代りに山岡鐵舟を西郷隆盛の滞在場所まで案内させることになりました。
ところが、その益満休之助が三島の宿場まで来たところで、脚が痛んで動けなくなり、三島から先は山岡鐵舟の単独行動となりました。
山岡鐵舟は勝海舟から預かった大切な書を一刻も早く西郷隆盛に手渡したいと先を急ぎ、既に陽が暮れていたのに単独で薩垂(サッタ)峠を越えました。
薩垂峠は東海道五拾三次の最高の景勝地として有名です。ところが、この薩垂峠まで既に西郷軍の前哨部隊が来ており、鐵舟は誰何されます。
「誰だ」
「朝敵徳川慶喜家臣山岡鐵太郎、大総督府へまかり通る」と、山岡鐵舟は大音声で叫びながら突破を試みます。
「ならぬ」
夜間に単独で駿府城の大総督府へ行くと言っても疑われるのは当然です。
山岡鐵舟は単独では無理と察し、来た道を取って返すのですが、背後から銃撃の音まで聞こえて来ました。いかな山岡鐵舟であっても、近代装備で武装した相手に鉄砲を撃たれては堪りません。
駿府城は元は徳川家康の居城であって今の静岡県静岡市に在り、この当時の幕府追討の大総督は有栖川宮熾仁(コレヒト)親王であり、参謀が西郷隆盛です。
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