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創作短編(49):番外編 江戸の珍商売 -8/8 [稲門機械屋倶楽部]

                       2012-08 WEME36 梅邑貫


放し鳥、放し亀売り

 広重の「名所江戸百景」に「深川万年橋」の絵があります。この絵は東京都の日本橋浜町から清洲橋で深川の清澄へ渡った辺り、芭蕉記念碑の建つところにかつて存在した「万年橋」を描いておりますが、絵の右上に紐で縛られて吊るされた亀が目を惹きます。
 江戸時代の毎年八月十五日、江戸の各地にある八幡宮で放生会(ホウショウエ)が催され、生きた鳥、魚、亀が放たれましたが、そのための鳥、魚、亀を売るのも商売でした。
 
北嶋廣敏氏の「大江戸おもしろ商売」によると、放生会は豊後の宇佐八幡宮で養老四年〔720年〕に始められ、その後に各地の八幡宮で催されるようになったとのことです。
 
鳥は、当然ですが、雀が主で、一羽が十二文、亀は四文、魚は鰻が三文だったそうですが、「放し鳥~、放し鳥~」とか「放し亀~、放し亀~」の呼び声で行商の者も歩きました。
「深川万年橋」に広重によって描かれた亀は売り物で、これを敬虔な信徒が買って、万年橋の下を流れる小名木川か近くの隅田川に放してやる亀です。


中条(チュウジョウ)

 中条とは堕胎専門の女医の別名です。太平の江戸時代、性も自由奔放となり、堕胎医は大繁盛でした。
 
豊臣秀吉の家臣であった中条帯刀(タテワキ)は戦国時代の度重なる合戦で負傷した武士達の治療を専門としていましたが、本来は婦人科医です。
 
この中条流の婦人科医学を学んだ者達が江戸時代には「堕胎医」の呼称にもなりました。
 
中条流が考案した「中条丸」があり、水銀に米の粉を混ぜて丸薬としたもので、母体の安全も何もあったものではないのですが、密かに堕胎したい心理状態を突いて大流行の薬となりました。堕胎一件は千二百文、今の貨幣価値で二万円前後になります。


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