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創作短編(49):番外編 江戸の珍商売 -5/8 [稲門機械屋倶楽部]

               2012-08 WME36 梅邑貫



眼鏡売り


 天文十八年(
1549年)八月十五日、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島へ上陸し、その後、周防の大名大内義隆に会った際に眼鏡を贈呈しますが、これが日本へ渡来した最初の眼鏡です。室町幕府十二代将軍足利義晴も眼鏡を持っており、又、静岡県久能山の東照宮には徳川家康が使った眼鏡が保存されています。


 眼鏡は、レンズ理論が
10世紀頃のアラビアで発見され、眼鏡としてはその後にドイツで製品化されて、十三世紀にはガラス工芸に優れたイタリアで製造されました。
 日本でも17世紀末、長崎で初めての眼鏡が作られましたが、この頃は、眼鏡ではなくて、「靉靆(アイタイ)」と呼ばれる老眼鏡でした。しかし、直ぐに「眼鏡」の呼称が定着し、「めがねーや、めがね」と呼び歩く行商が誕生します。
 
江戸の街々を歩く眼鏡屋は新しい眼鏡を売り、度が合わなくなった古い眼鏡を引き取り、ときに使い込んだ眼鏡の修理もしました。特に老眼鏡は年齢を経るに従って度が進みますから、決して安くはない老眼鏡が良く売れて、商売としては立派に成り立ったと思われます。



鏡磨ぎ(カガミ・トギ)


 現在のような鏡が日本で製造されるのは、旭硝子が板ガラスの製造を始めた明治
43年(1908年)からで、それまでの鏡は銅を磨き上げた銅鏡でした。
 私達が日常持つ10円硬貨はその成分の95%が銅ですが、キラキラと輝く新品の10円硬貨が直ぐに腐蝕して黒っぽくなります。
 
江戸時代の鏡も同じで、年に一回くらいは磨かないとよく写りません。この鏡磨きを「磨(ト)ぐ」と言いましたが、水銀に錫の微粒を加えて砥粉(トノコ)に混ぜ、さらに梅酢を加えて研磨剤としました。水銀を混ぜるのは極めて危険で、今なら許可されない研磨剤でしょう。
鏡磨きの職人は加賀国(石川県)から来ましたが、眼鏡売りも加賀から来ており、現在も石川県の眼鏡生産は日本最高です。


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コメント 4

hanamura

眼鏡のお話ナルホド!・・・あれ?眼鏡日本一は福井県鯖江市では?
加賀の眼鏡職人に間違い無いのでしょうが、現在の県境としては微妙です。
by hanamura (2012-08-06 20:11) 

ぼくあずさ

大変興味深く拝読しました。
加賀藩は徳川との関係が深いので商人たちは江戸での商売に
ついて特別な扱いを受けていたのではないかと、素人ながら
考えていました。実際はどうだったのでしょうか。

戦時中、松下幸之助の指示で北陸での軍需工場建設立地調査を
したという松下のお偉いさんから、福井を選んだ経過を聴かされた
ことがあります。私個人も福井にある某化学を何度か訪ねる機会が
ありましたが、自社技術に対する自信の程を知り、伝統のなせること
だと思いました。
なお、眼鏡日本一はhanamuraさんのコメントの通りと思います。
by ぼくあずさ (2012-08-07 07:51) 

村尾鐵男

hanamura さんの御指摘が正解です。江戸時代初期の国境と今の県境にはいつも悩まされ、時折、地元の方々には失礼をしております。
by 村尾鐵男 (2012-08-07 09:44) 

梅邑貫

hanamura さんの御指摘が正解です。
江戸時代の国境と現在の県境は必ずしも一致しておらず、現住所に置き換える際にはいつも悩みます。
眼鏡の生産日本一としては、 hanamura さん御指摘の通り、福井県鯖江市が有名です。
加賀百万石はあまりにも有名で、財力も跳び抜けていました。加賀の特産品を大消費地の江戸で売るために技工に磨きをかけ、さらに江戸の優れた職人を引き抜いて加賀へ連れて行きました。
江戸も前期の頃は、まだまだ京都の職人が勝る部分も多くあり、加賀は京都にも近いことから、加賀藩内の技工レベルを向上させるのに地理上の優位を保つことができました。
コメントと御指摘、有難うございます。
by 梅邑貫 (2012-08-07 11:39) 

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