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創作短編(49):番外編 江戸の珍商売 -2/8 [稲門機械屋倶楽部]

              2012-08 WME36 梅邑貫

 

おちゃない


 現代のように人工の毛髪があればよいのですが、江戸時代は未だ人工の毛髪はなく、本物の毛髪や馬の毛で鬘(カツラ)を作りました。鬘とまで言わずとも、頭髪の中に詰めて膨らませる髢(カモジ)も人の毛髪や馬の毛で作られました。

「おちゃない」はこの人の毛髪を集める商売で、女性が「おちゃないか、おちゃないか」と、何故か判りませんが、頭の上に布の袋を載せた女性が甲高い呼び声を発して江戸の街々を歩き、落ちた頭髪を集めました。
「おちゃない。都の西、常盤といふ所より出るとかや。女のかしら(頭)に袋をいただき、髪の落ちを買い、髢にして売買、世渡るわざとす。それを、おちゃないか、といふて町を歩くなり。昼の八つ時より出るなり」


 昼の八つとは午後二時頃ですが、これも何故か判りませんが、午後の二時頃にならないと、落ちた頭髪は集らなかったようです。

 

献残屋
(ケンザンヤ)


 参勤交代で国許から江戸へ上る大名は将軍へ多数の品々を献上し、又、江戸に居住する武士達も互いに贈答品を贈り合いました。
 
当然ですが、不要な物も多数あり、それを引き取り、再び別の者に売り捌いたのが献残屋です。
 
江戸時代、庶民は今でいうリサイクルに意を注ぎ、慎ましく無駄のない生活をしていました。
 
しかし、武士の世界、特に大名や高級旗本の世界はある意味で虚栄に満ちており、盆暮れに限ることなく、昇進、結納、婚儀、誕生、その他の機会ある毎に金品の贈答が繰り返されました。

創作短編で既に触れましたが、上杉鷹山や山田方谷が苦労したように、江戸幕府の中期以降は概ね総べての藩が財政窮乏に見舞われており、贈答を受けて、それが不用品であれば金銭に替えたくなるのは当然です。
 
最初に誰が思いついたのか判りませんが、献残屋は時代の要求に応えた商売となりました。


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