中国駆け足旅行記 -3/3 [和田の泊りより]
6/20(水) 朝6時過ぎにチェックアウトし、瀋陽空港よりCZ611便で関空まで。午後神戸に帰着。
バスに乗り詰めのツアだったのでかなり応えた。
中国の印象と言っても駆け足旅行、それも遼寧省に限られた旅行だったので、纏まったものは無いのですが、未だ活気はあるように思います。何処の都市に行っても建設中の高層ビル(主として住宅)が林立しています。ただその中には途中で腰砕けになってそのまま放置されているものも幾つか見受けられたのでバブルもピークに近づいているのかなとも思えます。
それと自動車がやたらと増えていてその分銀輪部隊が減ったようにも思われますが、交通マナーの悪さは相変わらずで、こちらの乗ったバスが交叉点で急ブレーキを掛けたので何事かと思ったら大型トレーラーが直進車の前を横切って左折して行きました。全て、わが道を往く中国流です。
高速道路もかなり整備されて来たようでバス旅行も楽になって来ましたが、ただサービスエリア(服務区)が少ないのでトイレで苦労します。
例の薄 熙来が整備したという大連の市街もそれ程綺麗になったとは感じませんでした。
それともう一つ空気が汚ない。添付写真でも判るかと思いますが靄でも、黄砂でもない矢張りスモッグなのでしょうか全体にかすんでいる感じです。急成長をするとどうしても環境対策が後回しになるのでしょうか。今回も大連から瀋陽迄新幹線で行く予定だったのですが、こちらは事故の後遺症で減速されてしまったので未だ運転開始には至らず今年末開業予定とのこと。その為に瀋陽北駅は新幹線乗り入れの為の工事中でした。
月川@神戸
昭和16年に北京へ行った折は天津で上陸して汽車で北京まで、昭和19年に帰国するときは北京から大連まで汽車でした。
勿論総てを覚えているはずはいないのですが、汽車が汽笛ではなくて、大きな釣鐘を鳴らしながら疾駆したことは覚えています。
地平線を紅に染める夕日、遮るものが何もない大平原、鐘をゆっくりと連打して走る汽車。TVドラマでも再現されない昔の風景です。
あの天津・北京、北京・大連を結ぶ鉄道は満鉄の支線だったのか、それとも別の線か、今は思い出せません。
by 村尾鐵男 (2012-07-03 08:27)
村尾さん
まだ大日本帝国が満洲に進出して栄えていたころなのかと思います。
1972年当時も、今では考えられない程、すべてがゆったりしいた
北京でした。車も殆ど走っていませんでした。全てが、変ってしまいました。
by ぼくあずさ (2012-07-03 11:31)
20年ほど前に冬の南京を訪れました。石炭暖房のため、空は曇り、町中が煤煙の臭いで満ちていました。
旧満州は偏西風で有害ガスは日本へ流されるのですが、それでも透明度を欠く空はよほど汚れているのでしょう。
by 村尾鐵男 (2012-07-04 08:37)