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創作短編(46): 山田方谷の偉業 -1/11 [稲門機械屋倶楽部]

              2012-07 WME36 梅邑貫



時   :文化二年より明治十年
(1805-1877)
場所  :備中松山藩
登場人物:山田方谷


 先ず、山田方谷(ホウコク)が記した「理財論」の一節を御紹介しましょう。


 「それ善(ヨ)く天下の事を制する者は、事の外に立ちて、事の内には屈せず。而(シカ)るに今の理財者は悉(コトゴト)く財の内に屈す。蓋(ケダ)し昇平(ショウヘイ:太平)已(スデ)に久しく、四彊(シキョウ:周辺)は虞(オソレ)なし。列侯諸臣は坐して其の安きを享(ウ)く。而して財用の一途、独り目下の患(ワズラ)ひなり。是を以て上下の心は一に此に鍾(アツマ)る。日夜営々として其の患ひを救うことを謀って、其の他を知るなし」

 「人心は日に邪にして正すこと能(アタ)はず。風俗は日に薄くして敦(アツ)くすること能はず。官吏は日にまみれ、民物は日に敝(ツカ)れて検すること能はず。文教は日に廃(スタ)れ、武備は日に弛んで、之を興し之を張ること能はず」
 「挙げて問ふ者あれば、乃(スナワ)ち財用足らず、なんぞ此に及ぶ暇あらんやと日(イ)ふ。嗚呼(ああ)この数者(カズの者:仲間の者)は経国の大法にして舎(ス:捨)て修めず。綱紀は是に於て乱れ、政令は是に於てか廃す。財用の途、またまさに何に由って通ぜんとするや。然り而して徒(イタズラ)に鍿銖毫糸(シシュゴウシ:つまらぬ事の意)の末に増減し較計せんとす。豈(ア)に財の内に屈する者に非ずや。何ぞ其の理のいよいよ密にして、其の窮(キワマリ)のいよいよ救ふべからざるを怪しまん」

 旧仮名遣いや難しい漢字があり、一読では理解し難い文章ですが、現代の政治と世相を厳しく指弾しているかの如く読めます。

しかし、この「理財論」は山田方谷が三十二歳の天保七年   (1836年)、江戸の儒学者佐藤一斎の塾で学んでいるときに著したもので、財政再建の方途を述べた経済論の一節です。
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hanamura

まったくの無知なので、あと10回が、楽しみで仕方ありません!
今なら、まだ中国隣県なのにぃ・・・転勤前に行けるか?
by hanamura (2012-07-03 20:45) 

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