Besuch Gedenkstätte Peter Messerschmidt(抄訳)-4/4 [Bericht aus BadKoestritz]
1945年4月、米軍は収容所を解放し、死体の山を見つけました。
写真は1945年4月に収容所を解放した米兵たちです。
民族社会主義党(ナチス)支配までの期間、ヒットラーのグループが何を準備したのか、今なお判っていません。
http://de.wikipedia.org/wiki/Dora-Mittelbau
追悼記念館は非常によく組織されています。60年以上時間経過したものは全て長時間の経過で忘れられない様に文書化されました。私は過去にAuschwitz,Buchenwald、ポーランドの他の収容所やTschechienを訪ね、そして今はDora収容所を見学していますが、人は如何してそれが出来るのか今なお理解できないことがあります。
1945年以後、家から数㌔の処で起こったことを誰もが知りたくなかった。だが、ナチス親衛隊の監視員が死者を弄んだ他、近在から集められた市民官吏も関与したことがDoraで初めて文書化されました。
多くの政治家やジャーナリストと同様に、今DDRスタージェ(東ドイツ秘密警察)とNS-Regime(国家社会主義体制)を同じと見なす人は理解しないのか無知なのか、又は二つを同じに位置ずけ、故意にNS-Regimeを無害なものと見せようとしています。
Gruß Peter
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Peter Messerschmidt, E-Mail: Peter.Messerschmidt@t-online.de
Domain: www.peter-messerschmidt.de
BLOG - Gedankenspiel: http://peter-gedankenspiel.blogspot.com
1990年のドイツ再統一前、Leibzig (東ドイツ)に暮らしておられたOrangeさんのコメントは貴重なものです。リンク先をお読み下さい。
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2012-05-28-3#comments
2012-06-02 15:51
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Herr Messerschimitdの原文を私のドイツ語能力では完全に読めなかったのですが、ぼくあずさ氏の抄訳で疑問の一部が解けました。
東ドイツの政治体制はナチと同じではないかと長く思い続けましたが、戦後の日本に於けるマルクス主義礼賛の声に掻き消されて、誰も耳を貸してくれませんでした。
そもそも強制収容所とか思想改造のための農場等が存在すること自体、何かが間違った独裁体制なのですが、中国や北朝鮮の現状を容認する者がまだまだ日本に大勢います。不思議なことです。
by 村尾鐵男 (2012-06-02 17:51)
村尾さん
コメントありがとうございます。
ENOさん
松井が2号を打ちました。nice arigatougozaimasu.
アルマさん,あゆさこさん海を渡るさん、
nice ありがとうございます。
rtfkさん
nice ありがとうございます。
by ぼくあずさ (2012-06-02 20:37)