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創作短編(44):直江兼續が詠む漢詩 -1/12 [稲門機械屋倶楽部]

                                2012-02 MWE36 梅邑貫


時    :永禄三年(1560年)より元和五年(1619)
場所  :會津、米沢、江戸、その他
登場人物:直江兼續


元旦        
楊柳其賓花主人   

屠蘇挙盞祝元辰
迎新送旧換桃符
万戸千門一様春

元日
楊柳(ヨウリュウ)は其(ソ)の賓(ヒン)、花は主人
屠蘇盞(トソサカズキ)を挙げて元辰(ゲンシン)を祝う
新を迎え旧を送りて桃符(トウフ)を換(カ)う
万戸千門(バンコセンモン)一様(イチヨウ)の春


 慶長五年(1600年)九月、関ヶ原の戦いで石田三成が敗れ、その石田三成に与していた上杉景勝は、慶長六年(1601年)九月、會津百二十万石から米沢三十万石へ移封、減封されました。

 漢詩「元旦」は上杉家の筆頭家老であった直江兼續が、慶長七年(1602)二月二十七日、亀岡文殊大聖寺の文殊堂で催された詩歌の会に臨んで、「亀岡文殊堂奉納詩歌百選」の一首として詠んだものです。大聖寺(ダイショウジ)は山形県亀岡の真言宗寺院です。

 百二十万石の會津から僅か三十万石の米沢へ移るに際し、他の家臣達が人減らしを主張するにも拘わらず、直江兼續は「一人たりとも減らさず、皆で米沢へ参る」と決断し、「この危急のときに臨み、人より大切なものはなし。来る者は拒まず、去る者は追わず」の後世に伝わる有名な言葉を遺しています。

 その米沢で、未だ先の見えない状況下で直江兼續が詠んだ「元旦」は、皆で生き延びて生活を建て直そうとの強い自信が覗えます。

 桃符とは、陰暦の元旦に桃の木の板二枚に魔除けの絵を描いて門柱に貼った故事に因みます。



亀岡文殊の元旦参り

http://www.youtube.com/watch?v=yOrqMSyvuC4&feature=relmfu 


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梅邑貫

ぼくあずさ氏が「続を読む」で補足してくれましたが、大聖寺は山形県東置賜(オキタマ)郡高畠町亀岡に現存します。
文殊(モンジュ)菩薩を祀ってあり、奈良の安倍文殊院、京都の切戸文殊院と並ぶ日本の三代文殊院の一つで、大同二年(807年)に法相(ホッソウ)宗の僧侶徳一(トクイツ)によって開かれたと伝えられます。
by 梅邑貫 (2012-05-11 19:44) 

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