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創作短編(51): 板倉勝明と遠足 -7/7 [稲門機械屋倶楽部]

                                   2012-04 WME36 梅邑貫


「遠足のこと、まことに我が意を得るものにして、委細異存なく候」と、板倉勝明は返書を認め始め、さらに想を練って書き続けました。

「遠足の時節は暑からず寒からず、五月初旬がよかろう。さらに、士の内には若からざる者も少なからず居る故、安中城門より坂本宿に到るも一考されたし」

「国許安中の士、すべからく一時に遠足に臨むは、さほど幅広きなき中山道を乱すこともこれあり、毎朝、五、六名、或いは六、七名にて徒党を組みて城門を出立すべし」

「碓氷峠山頂の熊野権現を着到地と致し、武具を捨つることなく着到せし者は権現宮司よりその証として一筆を持ち帰るものとすべし」


 山田三郎は板倉勝明の書を受取り、さらに細部を詰め、たとえば城に帰着する折に、馬や駕籠に乗っている場合は厳罰に処するとの条件も付して実行に移しました。

 安政二年五月のある朝、明け六つ、今の時刻では午前六時ですが、安中藩の武士が六、七名、自宅である拝領屋敷を出て、安中城の城門で名乗り上げ、それぞれが碓氷峠の山頂か坂本宿を目指して歩き始めました。

 この第一回の安中遠足に参加した武士は九十六名と記録されており、従って、半月ほどの間の毎朝、六、七名の藩士が中山道を駆けました。


 以来、毎年の五月第二日曜日に「安中の遠足」、或いは「安中マラソン」が挙行され、武士の姿に仮装する珍しいマラソンとして知られています。

 昨年、平成二十三年の五月は、東日本大震災による混乱で「安中マラソン」は中止の止む無きとなりましたが、今年、平成二十四年は従来通りの「安中マラソン」が五月十三日に行われる予定で、武家姿に仮装したマラソン風景を見ることができます。

安中藩の藩主板倉伊予守勝明は我が国に於けるマラソンの祖としてその名を留め続けています。


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ぼくあずさ

テレビニュースで武者姿で走るイベントを見た記憶があります。
歴史のある「安中のマラソン」とは知りませんでした。
by ぼくあずさ (2012-04-29 04:02) 

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