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創作短編(51): 板倉勝明と遠足 -2/7 [稲門機械屋倶楽部]

               2012-04 WME36 梅邑貫



 板倉勝明は自ら勉学に励むだけでなく、江戸の表屋敷内にも儒学の塾を設け、国許の上野国安中藩には父親である先代藩主の板倉勝尚(カツナオ)が創った「造士館」があり、さらに安中藩の郷民を対象とする「桃渓(トウケイ)書院」も設立しました。

 しかし、板倉勝明は藩主として多忙であり、自ら儒学を教導する時間が容易には作れません。


「誰か、わしに代わって教えられるよき者はおらぬか」と探しながらも、板倉勝明は親しい水戸藩主徳川斉昭に相談しました。

 板倉勝明が住む安中藩の江戸表屋敷は九段坂の下、竹橋の近くで、現在の毎日新聞本社の裏の辺りにあり、一方、水戸藩の広大な屋敷は、よく知られているように、現在の水道橋駅に近い小石川の後楽園がその跡地です。

 板倉勝明が水戸の徳川斉昭と親しいと言っても、斉昭は勝明よりも九歳も年上で、三十五万石、従三位の権中納言であり、御三家の一つとして将軍を補佐し、一方の勝明は三万石で従五位下、共に江戸城に詰めていても、斉昭は大廊下におり、勝明は雁の間にいて、心安く声を掛けることは憚られました。 

 そこで板倉勝明が徳川斉昭に書面を認め、側に仕える者に小石川の水戸屋敷まで届けさせたのですが、運良く直ぐに来いとの返事があり、快く迎えられました。


「勝明殿、儒師をお探しとのことでござるが」

「はっ。権中納言殿がお開きになられた水戸の弘道館には及びもつきませぬが、先代の勝尚が創りましたる造士館が安中にござりまする」

「よう存知おりまするぞ」

「はっ。その造士館にて教える者を探しおりまする。されど、容易くは見つからず、難儀をしおりまする」

 勝明の言葉を聴いた斉昭は、未だ頼まれてもいないのに膝を打ちました。

「二人、お勧めできようかと」


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hanamura

数年前、四谷へ通勤していた頃・・・東京メトロ市ヶ谷駅が好きでした!
発掘江戸城が見られたからです。その市ヶ谷防衛省は尾張様!
お堀を渡って、JR市ヶ谷駅の先は、番町・・・私の家族は駿府(静岡市)の番町に、今住んでます。
その先は・・・護国神社には何度も参拝に通いましたねぇ~。
武道館から北の丸公園抜けて、竹橋御門、一橋御門・・・あ!発見しました!「板倉主計頭」お屋敷発見!感激!
(現代と江戸古地図を、やや混同しています。ご了承ください。)
by hanamura (2012-04-24 20:23) 

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