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創作短編(40):渡辺崋山 -6/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                   2012-03 WME36 梅邑貫

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  天保の大飢饉の最中、天保八年(1837年)六月に「モリソン号事件」が起きました。

 モリソン(Morrison)号はアメリカの564トンの非武装商船でしたが、鹿児島湾と浦賀沖に現われて漂流中に救助されてマカオで保護されていた音吉をはじめとする七人の日本人を乗せており、その引取りと通商を求めました。ところが、薩摩藩も幕府もこのモリソン号を英国の軍艦と思い込み、文政八年(1825年)に制定した異国船打払令を発動して砲撃し、追い払ってしましました。

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 浦賀沖のモリソン号を陸の砲台から撃ったのは江戸の海の警護に任じていた小田原藩と川越藩でしたが、モリソン号は逃げてしまいました。

 渡辺崋山はモリソン号事件の後、韮山代官江川太郎左衛門英龍などと共に幕府の海防掛を命ぜられます。

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 一方、この頃に「尚歯会(ショウシカイ)」がありました。「創作短編(13):「代官はパンの祖」でも書きましたが、「尚歯会」は今で言えば学者、研究者、政治家、高級官僚等が集う談論風発の会であり、江戸天保期の「尚歯会」は儒学者で紀州藩の儒官を務める遠藤勝助が主催し、高野長英、渡辺崋山、小関三英、江川英龍、川路聖謨(トシアキラ)、藤田東湖、等々のシーボルトの鳴滝塾や儒学者吉田長淑に学んだ者が集っており、儒学者に限らず、蘭学者も加わった一種の研究会でありました。

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 尚歯会の始まりは、西暦845年、唐の白居易が高齢者七名を集めて催した歌会で、平安時代の日本でも尚歯会が催されています。文字通りに言えば、歯を尊んで大切にしようとの会ですが、江戸時代の末期、根強い攘夷の風潮もあることから、無難な名を付けたと推察されます。

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 この尚歯会を拠り所として、渡辺崋山が「慎機論」を、高野長英が「戊戌夢物語」を著して、モリソン号に対する幕府の対応を批判し、当然でありますが、ときの老中水野忠邦の耳に届くことになります。


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