創作短編(38):江戸の悪党 鳶沢甚内 -5/8 [稲門機械屋倶楽部]
2012-02 MWE36 梅邑貫
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「よし。わしに力を貸すのじゃな」
「はっ。このような生業(ナリワイ)に落ちてはおりまするが、これでも元は武士。仰せに従いまする」
「だがな、その方を我が幕府の家人に取り立てるのではないぞ」
「重々承知しおりまする」
「うん。良い了見じゃのう」
「はっ」
「鳶沢甚内、それではわしのために働いてくれるのじゃな」
「はい。鳶沢甚内、これより上様の御為に働きまする」
「うん。それでは申し付くるが、そちはただ今より古着屋を営め。よいな、心して働き、怪しき者、盗品と一目で判るものを見つけたら報せるのじゃ」
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かくして鳶沢甚内は捕縄を解かれて再び世に出て古着屋を営むことになりました。
しかし、ただの古着屋ではありません。八月初旬に「ぼくあずさは地球人」に連載されました「創作短編(26):三日コロリ」に書かれておりますが、江戸には古着屋が沢山ありました。江戸には大勢の人が集り、特に町人は狭い棟割長屋に住み、春夏秋冬の衣服を狭い住まいに置いておくことができず、衣替えの時節になると古着屋を訪ねて季節に合わなくなった衣服を脱ぎ捨て、季節に合った衣服と交換しました。
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四季の衣服を家の中に置いておけるのは、数百坪、或いはそれ以上の広い屋敷に住む武家とか大きな商いを営む大店の豪商くらいで、江戸の町人達の大半は季節の替わり目毎に古着屋の世話になりました。
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ですから、徳川家康が目論んだように、盗賊とか盗品を早く見つける機会は古着屋にこそありました。
その古着屋を元武士であり元盗賊でもある鳶沢甚内に開業させようとの家康の着想はまことに当を得たもので、鳶沢甚内の一味が幾人であったかは定かではありませんが、ここに視線の鋭い古着屋が江戸の各所に誕生しました。
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創作短編(26): 三日コロリ -1/8 [稲門機械屋倶楽部]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-08-10
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