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Re. 横浜・汽車道の鉄橋  [和田の泊りより]

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村尾さん

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寒い中の散策、御苦労さまでした。未だあちこちに古いものが残っているのですね。

AMERICAN BRIDGE COMPANY OF NEW YORK ,

何処かで聞いた覚えがある名前だと思って考えていたのですが,例の有名な餘部橋梁の橋脚が同社製だったのです。

090415 P1050633.JPG.

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090415 P1050635.JPGこちらは1909年着工だったので横浜の汽車道と2年違いですが,ほぼ同時代です。当時は未だ鉄橋も輸入する時代だったのですね。

リベットも懐かしい技術ですね。リベットは継ぎ手としては信頼性が高いと思いますが重ね継ぎ手となるため重量がどうしても重くなります。船などでも溶接を使うようになったのは戦後のことだと思いますが、逆に溶接による脆性破壊などの問題も起こしました。

 

鉄道車両などでも今では溶接は当たり前ですが、ついこの間までは

英国では台車に溶接を使うことは認められず鋳鋼が使われていました。

ニューヨークの地下鉄でも同様に重い鋳鋼製の台車が使われていました。これらの要求に従うために日本ではとうの昔に溶接台車に切り替わっていたのに輸出車輌となると態々鋳鋼で台車を作らされたのです。

逆に日本ではこんな大きな鋳鋼を吹けるところが殆どないので変な

苦労をしました。

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リベットにはこれとはまた違う想い出があります。以前皆さんに見て頂いた「再び東京へ」という拙文の中ににこんなくだりがあります。

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「昭和3061日トロリーバス102系統池袋~千駄ヶ谷間が開通した。

この路線は今度開通した地下鉄の13号線と略同じルートだったが、

その後渋谷まで延び更に品川駅まで延長されたのだがしかし昭和43年には全線廃止されている。この路線が開業するに当っては車庫が必要でその候補地として戸山高校の横にあった土地が選ばれ整地作業を行なった後に車庫が作られた。当時鉄骨の建屋を作っていたが今のように溶接で組み立てるのではなくリベットで組み上げていた。

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このリベットを地上で真っ赤に焼いて上で鉄骨を組み立てているリベット工に渡すのだが屋根の上など高い所へは地上から飛ばしていた。

どうやるかと言うと真っ赤に焼いたリベットを1 m近い長いヤットコで挟んでこれを掬い上げるようにスィングして上へ投げるのである。

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上では手の付いたバケツ状の受けで受取るのだが誠に正確無比な

投擲技術で落としたのを見たことが無い。夕暮れの空を飛んでゆく真っ赤に焼けたリベットが流星のようにとても綺麗だった。

今では思いもよらないことだが昔はこんな技術もあったのだ。

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エアハンマーの音とともにこんな光景が懐かしく思い出されます。

村尾さんの鉄道橋の話から色々なことを思いだしてつい余分なことを

書いてしまいました。

                                        月川@神戸


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コメント 1

村尾鐵男

餘部鉄橋も American Bridge Co. の建造とは驚いています。このアメリカの橋梁会社が建造した橋や鉄橋がまだまだ日本に残っているやも知れず、興味ある御指摘です。
私達が学生の頃は戦後復興の真っ只中で、あちこちで建設の槌音が響き、真っ赤に焼けたリベットを的を外すことなく高い所で待つリベットの打ち手に放り上げていた情景を思い出します。
私が就職して直ぐにアルミ合金溶接の実習を受けましたが、一見溶着したかに見えるアルミ合金の板が直ぐに分離してしまい、溶接の難しさを思い知らされました。
by 村尾鐵男 (2012-02-05 08:50) 

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