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「リーダーシップ」とは何か -2/4 [稲門機械屋倶楽部]

                                       2012-02 MWE36 梅邑貫

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  吉宗の時代に、江戸の街に目安箱が置かれ、身分や生い立ちに関係なく、誰でも将軍に向って提言することができました。吉宗はこの目安箱を箱のまま自分の執務室へ運ばせ、自分だけが持つ鍵で箱を開けて投入された提言書を最初に読みました。その結果の一つが小石川の養生所の設立で、貧窮者のための医療機関開設でした。このような場合、吉宗は養生所の設立を老中や他の役人達に命じますが、その成否に関る責任は将軍自身のものであるとしました。

 吉宗は、役人を介して提言書を届けさせると、役人に都合の悪い提言は破り捨てら、改竄されると、おそらく疑ったのでしょう。

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 役人は、現代でも同じですが、責任を取ることを極端に嫌います。その結果として、自分達の先輩が責任を問われずに済んだ前例を踏襲する無難な手段を選びます。しかし、日本の役人は江戸時代も今も優秀ですから、責任を問われることがなければよく働きます。吉宗はその役人の習性をよく知っていたのでしょう。

 現代の政治について言えば、政治家が責任を取らなくては官僚は知恵も出さず、働くこともありません。政治家が責任を回避して何かを命じたら、たとえば法案の作成とか予算の削減、或いは省庁の廃止を命じたら、無難な骨抜きの案が出て来て、抜本的だが論議を呼ぶ案は出て来ません。

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 吉宗の寛政の改革でも、度重なる倹約令が出されていますが、吉宗が偉いのは、自らその倹約令に従ったことです。絹の衣服を廃して木綿の衣服にするとの倹約令が出れば、将軍吉宗自らが率先して木綿の衣服を着ました。

 大奥の経費が高騰して削減が必要をなったとき、五十人の奥女中を解雇しました。吉宗らしいのは、美女ばかり五十人を選んで解雇するのですが、美女なら大奥から出ても嫁ぎ先が容易に見つかるだろうとの発想でした。

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 役人も庶民も頂点に立つ者の行動を見ています。世の中に倹約令を発しながら、自分だけは煌びやかな生活を続けていたら、役人も庶民も直接は何も言いませんが、倹約令にも従いません。吉宗は部屋住まいの苦労から、この辺の機微を知っていたのでしょう。


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