創作短編(33):藤堂高虎と西島八兵衛 -7/9 [稲門機械屋倶楽部]
2011-11 WME36 梅邑貫
.
藤堂高虎の跡は二十九歳の藤堂高次が継ぎましたが、西島八兵衛は新しい藩主藤堂高次の命で、幾度も讃岐高松藩へ出向くことになり、寛永十七年(1640年)までの間に四回、高虎に命ぜられて満濃池の修復に赴いてから通算十九年間も讃岐の地に入り、灌漑水路の拡充や川の付け替えを指揮しました。
.
あるとき、西島八兵衛は難問に出遭って考えに考え抜いていましたが、それを見た妻の田鶴が尋ねました。
「お困りになることのないお方が、何やらお困りの御様子。私にはお援け出来ませぬが、お話し下されば、気も軽うなりましょうに」
「いや、田鶴に話しても、気は軽うはならん。実はな、知っての通り、香東川の本流と分流を入れ替えておるのじゃが、土手の高い低いがよう判らんで困っておるのじゃ」
「満濃池では如何されましたのですか」
「うん。池はな、水面が静かにして平らかなる故に、土手の高い低いがよう判るのじゃ。だが、川は絶えず流れおって、川筋が曲がりおる場所では川面の高さも変わりおる。土手の高い低いを見分けるのが難しゅうてのう」
「左様でございましたか。この私なら、日が暮れましたる後、大勢の者に松明を持たせまする」
「松明とな。如何致すのじゃ」
「松明に竹竿を括り付け、松明の燃えまする先が同じ高さになるように致しまする。夜、松明を持ちたる者達を土手に長く並ばせ、松明の竹竿を地に着けて一斉に火を点させまする」
「うーん」と西島八兵衛は唸った。
「あなた様は対岸に立たれて、松明の列を目で追えば、土手の高低は自ずと明らかになりまする」
「うーん」と西島八兵衛は再び唸って、妻の田鶴を改めて見詰めた。
「何か、顔にでも汚れが付いておりまするか」
「いや、そうではない。わしはな、先代高虎様から教えてもらい損うたことが一つあったと、残念に思うておったのじゃ。それを、田鶴、そなたが教えてくれたのじゃ」
「お教えするようなことではござりませぬ」
コメント 0