創作短編(33):藤堂高虎と西島八兵衛 -5/9 [稲門機械屋倶楽部]
2011-11 WME36 梅邑貫
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大阪城修造中のある日、一日の普請作業を終えた後、西島八兵衛は藤堂高虎に呼ばれて、大きな酒樽を肩に担ぎ、空いた手には大きな包みを持たされ、「わしと共に参れ」と命ぜられました。
高虎の後ろを歩く八兵衛が行き着いた先は、普請現場で働く職人達の溜まり場、今で言う工事事務所と宿舎です。
既に報せてあったのか、棟梁が正装して出迎え、腰を折って挨拶しました。
「殿様、わざわざお訪ね下さり、俺達、いや、私共は」
「棟梁、遣いつけぬ言葉を遣わんでもよい。それより皆で呑むのだ。酒はまだまだ後から届くぞ。遠慮は要らぬ」
宴が始まり、まだ酔いが浅い内に藤堂高虎は立ち上がると、若い職人達の中に左手に白布を巻いた者を見つけ、手招きしました。
「名は何と申す」
何か粗相をして叱られるかと思った若者は堅くなって声が出ません。それを見た棟梁も心配顔で代わりに答ました。
「まだ駆け出しで、佐平と申しますが、何かお気に障りましたか」
「そうではない。佐平、その怪我は如何致したのじゃ」
「はい。鉋を掛けおって、ささくれが刺さりまして」
「そうか。怪我を早よう治せ。だがな、棟梁の技を真似るのじゃ。真似るとは盗むことじゃ。棟梁は、佐平、お前に技を盗まれても怒らん。だがな、佐平、技は盗むだけでは上手くならんぞ。佐平なりに磨くのじゃ。創意に工夫を重ねて、我が技とせよ」
「はい」
「初めはな、先達の技を盗んで真似る。だが、盗むだけなら盗人(ヌスット)と変わらぬ。盗んだ技を、次には自ら磨きに磨くのじゃ。怪我を負うたとは、技の盗み方がまだ足らんのじゃ」
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その数年後の寛永四年(1627年)、西島八兵衛は藤堂高虎から新たな命を受けました。
「八兵衛、少々遠路であるが、讃岐高松藩へ出向いてくれぬか」
「殿がお命じになられるところ、八兵衛、何処なりとも厭わずに出向きまする」
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