SSブログ

満洲と満鉄 五題 -3/3 [稲門機械屋倶楽部]

                                2011-11-07 WME36 村尾鐵男

.

満鉄のゲージ(レールの幅)

 東清鉄道のゲージは、ロシアの標準ゲージである5フィート(1524mm)でしたが、満鉄となってからは、日本陸軍の軍用車輌を走らせるために日本国内と同じ3フィート6インチ(1067mm)に変えられます。しかし、その後に中国や朝鮮への乗り入れのために国際標準である4フィート8.5インチ(1435mm)に拡げられました。

.

満鉄の終焉

 特急「あじあ」号をはじめとする高速鉄道の運行で満鉄は気を吐きますが、昭和208月の敗戦で、満洲へ雪崩れ込んで来たソ連軍によって接収されて、事実上の運行停止となり事業も停止します。

 満鉄が法的に清算されるのは昭和32(1957)になるのですが、これは満鉄の東京支社の資産が残っていたからだそうです。尚、満鉄のその後は、中国の長春鉄路となったそうです。

.

満鉄の事業

 満鉄は、設立時の従業員数が6,400名でしたが、最盛期には40万人の大企業へ変貌しております。それは、単に鉄道を運行することに限らず、付属地での多数の事業があったからです。

 事業と言えるかどうか判りませんが、付属地での行政業務がありましたから、住宅や学校の建設と運営、図書館や病院やホテルの建設と運営、炭鉱の経営、その他に多数の業務を遂行しており、満洲国が建国されて行政業務の大半が移管されるまでは、満鉄は日本の満洲に於ける権益を保護・拡大する任務も帯びていました。

.

 ポーツマス条約で東清鉄道が日本に譲渡されてから、日本政府は清国との間に条約を結び、満鉄の線路1kmにつき15人の兵士を配することが認められています。尚、満鉄の経営にはアメリカの鉄道王と言われたエドワード・ヘンリー・ハリソンが参画する「桂・ハリソン協定」が結ばれたのですが、外相の小村寿太郎が強硬に反対して実現しませんでした。アメリカ資本が入っていたら満鉄はどうなったか。想像の世界です。             

()


nice!(8)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

nice! 8

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。