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東京裁判と民間人(非戦闘員)の殺戮 -5/5 [和田の泊りより]

                                                                             .by 月川善雄

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先に東京裁判否定論を展開すると言う話が出ていたが、「人道に対する罪」があるのであれば、同時に非戦闘員の殺戮ということで、連合国側も改めて訴追する必要がある。

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原爆の是非については議論を呼ぶところであるが、人類はすでに「パンドラの箱」を開いてしまったのだから今更閉める訳にはゆかない。

私個人としては原発と同じで「無くて済むものであれば、無いに越したことは無い」としか言いようがないのだが、果たして無くて済むものであろうか。他国との関係はバランスの上に成り立っているのだから核を保有している国が近隣に存在する以上、バランスを保つという意味では核の傘の下に入らざるを得ない。日本が敢えて原爆を持つ必要迄はないと思うが、やる気になれば何時でも作れると言う体制、及びそれを世界に知らしめることによって抑止力にする必要はあるのではないか。

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ところで非戦闘員に対する殺傷ということは戦争と言うものがある以上どうしても避けられないのではないかと思う。特にゲリラ戦があるとどうしても出てくる問題である。見た目にはゲリラと民間人の区別がつかない。日中事変では日本軍は中国の便衣隊に手を焼いたし、ベトナムでは米軍によるゲリラ掃討の際に民間人が殺されている。アフガニスタン、イラクでも同じである。そして最近では正規軍がやると目立つのでイラクなどでは民間軍事会社がこういう仕事を請け負っている例もあるようである。

近代の戦争は総力戦であり、戦闘員と非戦闘員の境目がボヤケて来ている。以前、森田さんに聞いたことがあるが「戦場に於いては “Everything is right”」である。従い非戦闘員の殺戮を無くすためには戦争に持ち込まないことであるが、その為に何が必要かを考えるべきである。平和ボケした日本人には最早理解出来ないことかもしれないが、戦争と言うのは相手があることであり、ただ口に平和を唱え、非核三原則を守るだけでは戦争を止めることはできない。

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山本五十六が真珠湾攻撃出撃前に「日米交渉の結果、攻撃中止もあり得る」と言った時、ある幕僚が「出かかった小便は止められない」と言ったのに対し山本は「百年、兵を養うは一に平和を守らんが為である、自分の命令が守れないものは即刻辞表を出せ」」と言ったと言うが味わうべき言葉である。問題はこの様に見識を持って暴走を止められる司令官、現在であれば自衛隊はシビリアン・コントロール下にあるので腹の据わった政治家が居るかどうかが鍵である。

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終戦の日の昼日中、田舎の縁側で涼しい風に当あたりながら 66年前のその日のことを思い出していた。あの日も表に出たらカンカン照りの暑い日だったなー、そして表には誰も居なかったなーと思っているうちに、色々なことが想い出され、それを書き出したら次から次へと取りとめもないことが出てきてしまった。読み難いとは思いますが皆さまも当時に思いを馳せて見て下さい。

                                                                              (完)


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