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東京裁判と民間人(非戦闘員)の殺戮 -1/5 [和田の泊りより]

                                                                             .by 月川善雄

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先週お盆の休みを家内の実家で過ごしたことをお伝えしましたが、8月15日の終戦の日に縁側にぼんやり座っていたら、ふと戦時中の歌の一節が頭の隅をよぎりました。田舎に行った所為でしょうか。

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太郎は父の故郷へ、花子は母の故郷へ

 里で聞いたは何の声・・・・・・ 

 のぞみ大きく育てよと遠く離れた父の声。

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<父母の声> 作詞:与田準一、作曲:草川 信

http://www2.bbweb-arena.com/corelli/newpage27.html 

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昭和19年、空襲が激しくなって学童疎開が行われた頃の歌です。

当時はまだ子どもだった所為もあるのでしょうが何も感じなかったのですが、今聞くと哀調を帯びた何とも切ない歌で、親元を離れた子供の悲しさが胸を打ちます。

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地方に親類・縁者があるものはこの歌のようにそこを頼って子どもを疎開させ(縁故疎開)、これだけでは効果が無かったので、國民學校初等科3年生以上は学年毎に、或いはクラス毎に集団疎開をさせられました。まだ2年生だったので集団疎開は免れましたが、当時はすでに食糧事情も逼迫し、何処へ行ってもひもじい思いをしたことだろうと思うし、また低学年の児童が親元を離れると言うことはどんなに心細かったことだろうと思うし、また他所者ということでいじめもあって悲しかっただろうと思う。そして終戦を迎え再び親と巡り合えた子どもは幸せな方だっただろうが、疎開している間に両親を戦災で失い、所謂戦争孤児となり浮浪児となった子供も多い。

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戦後これらの子どもを扱ったラジオの帯ドラ[鐘の鳴る丘](これも民間情報教育局 - Civil Information and Educational Section, GHQの一部門- の指示によっているが ) が放送されていたが、故林家三平の夫人もその一人で沼津に疎開している間に3月10日の東京大空襲で三兄を除く両親・兄弟を皆なくし、あとは親類を盥回しにされた挙句、最後に父親の仕事だった竿の縁で噺家の三代目三遊亭金馬に引き取られ、その後林家三平と結婚、現在はハッピーだろうと思うが、皆それぞれに大変な思いをしたと思う。


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