稲毛山王社の芭蕉句碑 [フリューレン村だより]
,by ぼくあずさ
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古河財閥はSIEMENS技術導入による合弁会社を川崎・田辺新田に設立した。その式典は1923年の関東大震災の日であった。.
私が入社した1961年当時、最新鋭大型工作機械がずらり並ぶ火力工場は完成しており、また主契約者として東海村コールダーホール型原子力発電所の建設が進んでいた。焼け残った鋳物工場の建物は暫く別の用途に使用された。.
B29の絨毯爆撃で壊滅した京浜工業地帯の中心都市川崎は日本鋼管、東京芝浦電気など主要な会社は戦後復興の担い手となり、活気溢れる工場労働者の街として再生途上であった。国鉄川崎駅前とFD川崎工場間は朝夕直行バスが頻発した。.
8月2日に稲毛山王社の例大祭を見物をした時、境内は多数の屋台が並び参拝客で溢れていたので、芭蕉の句碑を見つけることは早々に諦めた。.
8月19日、猛暑も一休み、午後から雨の予報を信じて鶴見駅東口でメガネの新調序に元禄時代に芭蕉が歩いた旧東海道をたどり、時おり雨宿りしながら旧川崎宿まで歩く
村尾さんの「第二回防災講習会」の記事にある保土ヶ谷区と違い雷鳴は聴こえなかったが、途中八丁畷の芭蕉碑も雨の中。期待どおりに確かに涼しいが、雨量は半端でなかった。.
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六郷の 橋まで来たり 春の風 子規
没後300年と100年に建立された。.
写真はクリックで拡大します。
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曇天の日、再度Wanderung することにして早々に帰路につく。
今回の収穫は神社近くの国道15号(京浜1号)沿いの東田にある大平屋の大福と串団子、これは推奨もの。京急川崎駅近くの天龍の湯麺は店が混んでいたのでパスしたが、美味いと評判。店内がうす汚いのは過っての川崎の雰囲気を残す。.
岡田三郎助の美人画と稲毛山王社 [フリューレン村だより]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-08-02-4
第二回防災講習 [稲門機械屋倶楽部]
http://dorflueren.blog.so-net.ne.jp/2011-08-20-3
稲毛神社 歌碑・句碑・詩碑
http://takemikatsuchi.net/kdai/kahi.html
昭和40年代半ば、初めて英国へ行く折、機上より英国北部のコールダーホール型原子力発電所の排気塔を眺め、これが原子力発電所かと感激したのを思い出します。
今朝の産経新聞第12頁に、インドネシアの地熱発電所向けタービンを製作中の富士電機川崎工場の大きな写真が掲載されています。技術の粋を集めたFD製タービンはインドネシアで立派に働いてくれるでしょう。
by 村尾鐵男 (2011-08-20 13:12)
村尾さん
コールダーホール型原発の大きな冷却塔と英国の景色は画になるものだと想像します。
地熱発電の蒸気はタダだと多くの方は誤解します。地熱蒸気は質が悪く、しかも蒸気単価は安くありません。頑丈で高効率なブレードの製作が絶対条件です。早大横田教授の「減衰能を考慮した溶接設計」に準拠し、私が開発企画した大型鉄板ケーシングが世界中の地熱発電所に納入されています。私の密かな喜びです。
by ぼくあずさ (2011-08-20 15:10)
ぼくあずさん、こんばんは。
いつもご訪問ありがとうございます。
来島海峡は郷里に戻って来た実感の湧く海でした。
フェリーから島々をずっと眺めていたのを覚えています。
by 海を渡る (2011-08-20 20:59)