ビルマ行 -5/9 [和田の泊りより]
.by 月川善雄
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ところで政治情勢はというと現在でもオンサン・スーチー女史の自宅軟禁など民主化されたとは言い難いが 当時は暗黒政治というか恐怖政治の色がもっと濃かったように思う。当時ラングーンに駐在されていた日本人でもスパイだと密告されれば直ぐ投獄される惧れがあり、お世話になった住商の駐在の方もかなり神経を使っておられたようだ。例えば晩飯を一緒に食べているときに仕事の話が出ると、その話は明日事務所でしようとか、またラングーンに3箇所あったゴルフ場も同じところに続けて行くと怪しまれるので毎回場所を変えて行くのだという話だった。そんな訳で皆ビクついていたのだがそれが我々が現地に滞在しているときに遂に本当の話になってしまった。三菱商事の駐在の方が本当に捕まって投獄されてしまったのだ。何でもクビにした元現地社員が腹いせにあることないことを密告したのだという噂を聞いたが 日本人なら一週間ともたないと言われるラングーンの近くのインセン刑務所という酷いところに投獄されてしまい皆青くなった。皆オロオロするばかりで何も出来ないでいたのだが幸いなことに一週間余りで釈放された。
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以下は商事Y氏の獄中談
投獄されたところは模範囚の雑居房で収監されている面々はというと 囚人に脱走された元刑務所長、部下が帳簿の記入の右左を間違えた銀行の頭取等々要するに責任を問われた人達だった。矢張り牢名主格の仁が中央に居て総勢15人程が左右に居流れている。そしてお前は日本人で到底此処の食事を食べられるとは思えないが此処でお前を死なすような事があってはビルマの恥である、絶対に何とかしてやるから心配するなというお言葉があった。そして夜になり寝ることになるのだが与えられた毛布が一枚、それにくるまってのゴロ寝であるがしばらくすると例の南京虫が何処からとも無く現れて来てとても寝るどころの騒ぎではない。悶々として一夜を明かす。
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そして翌日になると奥さんが差入れに来てくれた。彼女はビルマ語が出来るので牢名主以下皆喜んでしまい 明日からも毎日来てくれるようにとのお達しが出る。そして差入れられた缶詰を自分だけ一人で食べるわけにも行かないので缶をあけ例の牢名主に差し出すと彼はひと目見て「ウン美味そうだな」と言って手もつけず隣にまわす。副牢名主も同様に次に回す。結局かなり下位に回るまで誰も手を付けなかった。こんな浪花節的環境の中で何とか数日経ったのだが、ある日中庭で貸与された木桶で洗濯をしていると囚人の一人が寄ってきてお前は明日か明後日には釈放されると囁いてくれた。半信半疑でいると事実翌日放免になった。
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