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創作短編(19):県犬養三千代 -3/8 [稲門機械屋倶楽部]

                           2011-05 WME36 梅邑貫

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 もし、あの噂が本当なら、持統様にとって不比等様は異母弟になる、と三千代は思うが、これを高御座(タカミクラ)に在る目前の持統天皇に向って話すことはできない。

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「三千代は、不比等をただ立派だと申すのか」

「いいえ。藤原朝臣(アソン)様の御子息で、ときおりお見掛けして御挨拶を申し上げますが、私如きにもお言葉を頂戴し、お心のお優しい方でございます」

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 県犬養三千代については、その生年が明らかになっておらず、この頃の三千代が何歳であったかが正確には判らない。しかし、諸々の資料を渉猟して、三千代が三十歳にはなっておらず、おそらくは二十歳代半ばであったろうと推察する。

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 一方、持統天皇は西暦645年の生まれであるから、念願の藤原京へ遷都した後のこの頃は五十歳を少し過ぎた年齢であったろうと想像されるので、県犬養三千代とは母と娘ほどの年齢差があった。

持統天皇は第三十八代天智天皇の皇女で、鸕野讃良(ウノのサララ)と呼ばれ、第四十代天武天皇の妻となった。その天武天皇が朱鳥元年(686年)に崩御し、その四年後に持統天皇が即位するのだが、その間の四年間は称制(ショウセイ)であった。

称制はしばしば摂政と混同される。摂政は大正天皇の御世に後の昭和天皇が皇太子として父帝の代行を務められた例があり、摂政宮の上に天皇が実在された。

しかし、称制は天皇が未だ即位せずに不在で、概ね次に天皇に即位する皇太子や皇女が事実上の天皇として職務を遂行するのであるが、持統天皇はこの四年間の称制を経て第四十一代天皇に女帝として即位された。

近頃、義務教育期間中の日本史授業が等閑にされる傾向があり、摂政も称制も教えられないか、教えてもその違いが曖昧な侭に混同されているのは嘆かわしいことである。


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