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創作短編(18):源頼朝の妻北條政子 -2/9 [稲門機械屋倶楽部]

                                         2011-04 WME36 梅邑貫

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 平治元年十二月(11591月)、平治の乱に破れた源義朝の三男頼朝はこのとき十四歳で、六波羅へ送られて処刑される運命にあったが、平清盛の継母池禅尼が頼朝を見て、早生した我が子、平家盛に似ていることから、清盛に嘆願して頼朝は死一等を免れて伊豆へ流された。

 頼朝が流されたのが伊豆の蛭ヶ島、或いは蛭ヶ小島と伝えられるが、現在の伊豆の国市、旧韮山町内を流れる狩野川の中州で、現在は頼朝流刑の地として公園が造られている。しかし、古文書では単に伊豆へ流されたとのみ記されており、その場所が蛭ヶ島であるとの説は江戸時代になってから唱えられた。

 しかし、北條政子が頼朝と共に鎌倉へ移る前に住んでいた場所が旧韮山町の北部であり、蛭ヶ島とは近いから、必ずしも荒唐無稽な推論ではない。

 ともあれ、北條時政の長女である政子はこの近くに住んでおり、流されて来た頼朝を見て乙女の心は惹きつけられた。

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尚、北條政子の「政子」はこの物語のほぼ二十年後、朝廷より従三位に叙せられた折、父親の時政に因んで政子と命名されており、それ以前の名は定かではないが、無名では話が進まないので、政子の名で呼ぶ。

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「それで、殿にお怪我はないか」と、政子は板敷きの床に手を着く者に穏やかに尋ねた。

 このときの政子は、実は頼朝の健康状態について心中に懸念することがあった。だが、政子までが我を忘れて問い詰めれば、頼朝の供廻りを勤めているこの若者を動転させてしまうだろうと察した。

「殿は」と、その若者は答を渋った。

「どうしたのじゃ。殿はお怪我でも負われたか」

「いや。馬から落ちられて、そのまま川の中へ」

「なんじゃ。馬から落ちて、勢い余ったかどうかは知らんが、川の中へも落ちられたのか」

 若者は政子の視線を避けるようにして頷いてから続けた。


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