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創作短編(16):水戸黄門と生類憐れみの令 -3/8 [稲門機械屋倶楽部]

                                                           2011-03 WME36 梅邑貫

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日本で初めてラーメンを味わったのは水戸光圀であると伝えられておりますが、これは当時の明国から日本へ亡命した儒学者朱舜水(シュ・シュンスイ)から水戸光圀が教えられたものです。

 朱舜水(1600-1682)は中国浙江省の出身の儒学者ですが、日本の暦の正保元年(1644年)に明国が滅んだ後、日本人を母親として平戸で生まれた鄭成功や明朝の遺臣と共に明朝の再興を試みましたが果たせず、満州族による統治とその清朝を嫌って、万治二年(1659年)、長崎滞在中に日本へ亡命し、寛文五年(1665年)七月、水戸光圀に招かれて江戸へ移り、その翌年六月には水戸光圀が「大日本史」編纂のために創った彰考館に入りました。

 水戸光圀は朱舜水を儒学の師として仰ぎ、江戸の駒込にあった別邸に設けた彰考館で朱舜水を厚遇しております。

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「殿、いささか心せねばと思われることがござりまするが」と、安積澹泊は牛乳酒を味わいながら水戸光圀に慎重な語調で言った。

「何だ、澹泊。いつもの澹泊らしくないのう」

「大能が心配でござりまする」

「何故じゃ。よう判らんな。はっきりと申せ」

「殿も御存知の通り、この二月、上様が生類憐れみの令を発せられました」

「それで大能の牧場を案じておるのか」

「はい。牛、豚、鶏、それも食するために育てておりまする。上様より見れば、もっての他のことでございましょう」

「澹泊よ、案ずるな。それにしても徳松殿にはまことに困ったことよのう」

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 水戸光圀は五代将軍綱吉をその幼名で呼んで困惑の表情を隠さず、牛乳酒の杯を片手に暫し考え込んだ。従兄弟の三代将軍家光からその跡を継いだ家綱を補佐してくれと頼まれたが、その家綱は早世して、今は綱吉の治世であり、何かと光圀を悩ませていました。


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コメント 1

ぼくあずさ

あれほど好きなラーメンを、今は味覚異常なのか食べられません。
昨年、中学時代の友人の案内で、西山荘を訪ねましたが、お蕎麦を
美味しく食しました。ラーメンが光圀公ゆかりとは知りませんでした。
by ぼくあずさ (2011-04-23 14:25) 

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