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唐詩選より、春と秋を詠う詩 -8 [稲門機械屋倶楽部]

                                         2010-09-19 WME36 村尾鐵男

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劉禹錫 「秋風引」

何處秋風至 蕭蕭送雁群 朝來入庭樹 孤客最先聞

〔何處(イズク)、よりか秋風(シュウフウ)至(イタ)る。蕭蕭(ショウショウ)として雁の群を送る。朝來(チョウライ)庭樹(テイジュ)に入る。孤客(コキャク)最も先んじて聞く〕

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劉禹錫(リュウ・ウシャク)も唐の時代の進士ですが、優れた詩を詠んでおり、白居居をして「詩豪」と呼ばせています。尚、詩人として誰もが知る杜甫は「詩聖」と、李白は「詩仙」と呼ばれます。

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難しい言葉もなく、特に現代語での解説は必要としませんが、「朝來入庭樹」は雁の群れを送り込んで来た秋風が、〈朝から庭の樹間にも入り〉、「孤客最先聞」は、〈その秋風の音を最初に聞いたのは一人旅の旅人である〉との詠みです。

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耿湋「秋日」

返照入閭巷 憂來誰共語 古道少人行 秋風動

〔返照(ヘンショウ)閭巷(リョコウ)に入る。憂(ウレ)え來たるも誰と共に語らん。

古道(コドウ)人の行くこと少なく、秋風(シュウフウ)禾黍(カショ)を動かす〕

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耿湋(コウ・イ)も唐の進士です。「秋日」は詠み易い詩ですが、作者が進士のためか難しい言葉があります。

「閭」は(リョ)、或いは(ロ)と読み、文字も簡単ですが、意味には格別のものがあります。周の時代に、行政制度として、25軒の家をまとめて「里」とし、その里の入り口の門を「閭」と称しました。江戸の街々に設けられた木戸と同じです。ここから発して「閭巷」は寂れた田舎とか村里の意味で遣われる言葉になりました。「禾黍」の「禾」は稲のことで、「黍」はキビもことです。

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耿湋はうら寂しい田舎の村を歩いたようで、〈夕陽が村を照らすが、この侘しさを語り合う者はおらず、田舎の道を行く者もいない。秋風はただ稲と黍を揺らしているだけだ〉との意味です。

私達も子供の頃に、弱い秋の夕陽に照らされた田圃の畦道で体験した情景であろうと察します。

(9)に続く


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