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唐詩選より、春と秋を詠う詩 -9 [稲門機械屋倶楽部]

                 2010-09-19 WME36 村尾鐵男

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陳裕「雑誌」

無定河邊暮笛聲 赫聯臺畔旅人情 函關 歸路千餘里    一夕秋風白髪生

〔無定(ムテイ)河邊(カヘン)暮笛(ボテキ)の聲、赫聯臺(カクレンダイ)畔(ハン)旅人(リョジン)の情、函關(カンカン)の歸路千餘里 一夕(イッセキ)秋風(シュウフウ)白髪を生ず〕

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赫聯臺とは晋の時代に在った国の名で、函關とは函谷関のことです。函谷関の西方に広がる辺境の地から帰る旅人が函谷関まで戻り、長安までまだまだ千里を越える道程が残っており、秋風と共に白髪が生じることを詠んでおります。

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「千餘里」は長大な距離との観念が私達にはありますが、中国では周の時代に定められた里程が今日でも使われており、一里は540mです。ですから、千余里と言っても、600kmほどの距離です。

日本でもこの中国の里が使われていましたが、一里の距離を測定する手段がなく、時間感覚で、「このくらい歩けば一里だろう」として、各人各様、各地各様に一里の距離が定められていました。

江戸時代になってから、ようやく一里は36町と制定され、明治24年(1891年)のメートル法条約への加盟に伴って、一里=36町=3,927mと制定され、これ以外の里程は使ってはならないことになりました。

現代中国では、昔ながらの一里を540mとする場合を「市里」と言い、1kmを「公里」と呼びますが、慣れないと紛らわしい呼び名です。

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「暮笛」は「暮角」であるとの説がありますが、夕暮れに吹く角笛のことで、申し訳ないのですが、夕暮れに何のために笛を吹くのかが判りません。

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函谷関は意外にも近い場所にあり、河南省の洛陽から西へ150kmほどの場所です。しかし、前漢の時代、紀元前100年頃に新しい函谷関がさらに100kmほど西方の地に建てられました。現在の中国で重要歴史建造物として保存されているのは新しい函谷関です。

上記の詩で詠う函谷関はおそらく古い函谷関であろうと想像しますが、私には断定できません。しかし、函谷関からさらに千余里は中国人が得意の誇張・誇大の表現かもしれません。

                              (了)


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