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靖国神社参拝 その(5) [明治維新胎動の地、萩]

                                                                           By N. Hori 

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台湾出身で、稲門(商学部)の後輩の「黄文雄さん」が、台湾で日本以上に靖国精神が維持されている事例を紹介しています。

「捏造された日本史」 黄文雄著、日本文芸社、1997年 の抄訳

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「台湾には戦後もずっと1日も休むことなく「君が代」が歌われているところがある。それは台南の飛虎将軍廟である。この廟に祀られているのは、太平洋戦争の末期、昭和19年10月12日、台南近郊の上空で米軍機に体当たり攻撃をして果てた零戦パイロット、杉浦茂峰ら3名の海軍航空隊兵士である。空中戦を観戦していた農民たちは、畑に墜落した彼らの遺体を収容し、護国の神として廟を建てたのである。「君が代」と、そして「海ゆかば」が神詞となった。

戦後、中国国民党政府の役人や警察によって祭事の停止が強制され、廟の取り壊しも命じられたが、廟を守る堂守と現地の農民たちは一丸となって抵抗し、今日まで伝えているのである。

その他にも、仕事熱心、教育熱心で慕われ、親しまれた日本人警官が神様として祀られている事例も紹介されています。」

(国を守るために亡くなった先人に感謝し、敬うのは、どこの国でも当然だと思いますが、それが現在の日本では首相も実行していないのは嘆かわしい限りです。)

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(近くには、日本人の土木技師八田与一が建設した烏山頭(オスアタウ)ダムがあり、不毛の荒れ野を台湾の農地の1/6にあたる15万ヘクタールの豊かな農地に変え、農民に計り知れない利益をもたらし、農民の心に深く刻まれている。八田氏は、その後、召集され,フィリピンへ向かう途中に戦死し、夫人は夫の死とその後の敗戦に、夫をしのんで、ダムの放水路に身投げして殉死した。) 

(6)に続く


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村尾鐵男

私が親しくしていた台湾の方の夫人は台南の生まれでした。子供の頃、祭の夜店へ小遣いを握り締めて駆け出し、日本人巡査が交通整理をしている交差点を無理に横断したところ、いきなり「コラーッ」と大声で怒鳴られ、握っていた小遣いをそっと差し出したら再び「コラーッ」。
この奥さんが達者な日本語で私に笑いながら聞かせてくれた台詞が忘れられません。
「おカネを上げて叱られたのはあの時が最初で最後。日本時代は良かったですね」
by 村尾鐵男 (2010-09-11 09:11) 

ぼくあずさ

ダムのことは聞いていましたが、八田夫人の殉死は知りませんでした。機会があれば、台南の飛虎将軍廟を参拝したい。
再び「コラーッ」には思わず笑いましたが、よい意味で現地の方の心に残っていることは嬉しい事です。
by ぼくあずさ (2010-09-11 15:50) 

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