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淮南子、漢の世情を描く -1 [稲門機械屋倶楽部]

              2010-08-09 WME36 村尾鐵男

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「淮南子(エナンジ)」は漢の高祖劉邦の六男で淮南王劉長の子、即ち、劉邦の孫で、本名は劉安(紀元前179-紀元前122年)が編纂したもので、当初の書題は「淮南鴻烈」でしたが、後に「淮南子」と呼ばれました。劉安も父の跡を継いで淮南王であったので、この書名になったと思われます。尚、華北と華南を分ける淮河(ワイガ)があり、その沿岸に淮南(ワイナン)市があります。

「淮南子」の内容には、特に強く訴える芯のようなものに乏しいのですが、漢代の社会風俗とか世情を知るためには、貴重な文献となっております。        .     .

古者民澤處復穴、冬日則不勝霜雪霧露夏日則不勝暑熱蚊虻、聖人乃作、為之築土構木以為室屋上棟下宇、以蔽風雨以避寒暑、面百姓安之】                                   〔古者(イニシエ)は民、澤處(タクショク)し、復穴(フッケツ)し、冬日(トウジツ)は、則(スナワ)ち霜雪霧露(ソウセツムロ)に勝(カチ)えず、夏日(カジツ)は、則(スナワ)ち暑熱蚊虻(ショネツブンボウ)に勝(カチ)えず、聖人(セイジン)乃(スナワ)ち作(オコ)り、之(コレ)が為に土を築き木を構え、以って室屋(シツオク)と為(ナ)し、棟(トウ)を上にし、宇(ウ)を下にし、以って風雨を蔽(オオ)い、以って寒暑(カンショ)を避けしめ、而して百姓之を安んず〕

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〈昔の人は沢や穴の中に住んでいたので、冬には霜、雪、霧、夜露を避けることができず、夏には暑さと蚊や虻(ブヨ)を避けることができなかった。そこへ聖人が現れて、土を築いて盛上げ、木を使って構えてこれで家屋とし、棟木を上に構え、その下に部屋を作って家屋とした。これで風雨を遮り寒暑を避け、人々は安んじて生活ができるようになった〉

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「棟」とは屋根の頂上部分を横に貫く太く長い材木であり、「宇」とは屋根で覆われた部屋とか大きな家屋のことですが、「棟宇」で屋根のある家屋を意味します。

紀元前2世紀に著された「淮南子」が言う「昔の人」とはいつ頃のことか明らかではありませんが、屋根つきの住居が出現したのは紀元前もかなり前のことと思われます。

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この文中にある「為之築土構木」の部分が、私達が今も遣う「土木」と言う言葉の原典です。

土木作業ともう一つの職業は歴史上最も古くから存在した職業であると言われますが、確かに「土木」は紀元前千年とかそれ以前から存在した職業であります。

(2)に続く


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