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俄Gaertner [フリューレン村だより]

昨年116,8日、娘二人の成長を見守ってきた大樹2本を伐採。淋しいことだが、毎年カラスが営巣、2回のヒナ墜落事故があり、悲しい出来事を繰り返さない為の決断であった。あれから7ヶ月後の65日、植木屋さんのアドバイスに従い、俄IMG_2709.JPGGaertner , サルスベリとモチの剪定作業を無事終えた。プリンプリン物語で有名な造形作家、友永詔三さんの木彫り人形をヒントに、木彫り用材料として、サルスベリの枝2本を得た。

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祖父は青梅杉を伐採・製材、ブランド「山の」の柱材を京浜地区に出荷、父は日本一の材木屋、木場・武市の番頭。私は戦時中、戦後もずっと材木と共に暮した。材木屋の血を受け継ぐ私だが、何故か幼児のころから田端機関区で毎朝、小僧さんを急かせて蒸気機関車見学。それでWMEへ。今日なおblog「ぼくあずさは地球人」を通じて多くの学友と交流があるのは幸せなこと。

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青梅杉の植林と手入れは、三内大尽などの、山主の家業。  それ故、私には、Gaertner の血は流れていない。其れ故、事前の準備は怠りなし。

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sew.JPG1.西洋式の小形折畳み式鋸を購入

驚いたことに、しっかりした作りの国産で国際価格。

2.軍手、帽子、長袖シャツを着用

切断した枝が頭上に倒れて来た。とっさに除け無傷であったが、鋸の歯が帽子に僅かに引掛かった。

3.集中力が切れない様、休みながらの短時間作業


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コメント 4

村尾鐵男

ぼくあずさ氏へ
田端機関区、一回か二回しか通っていませんが、懐かしい場所です。母方の祖父は蒲田をカマタとは呼ばず、カバタと呼びました。何故なら、蒲田の蒲はカバヤキも蒲ではないかとのこと。毎晩の晩酌では必ず蒲焼が添えられ、蒲焼の肉の方を私が食べていました。
その祖父が、そもそもの経緯は忘れましたが、田端機関区へ連れて行ってくれました。石炭の臭いと煤煙に覆われた田端機関区です。ところが、私には田端と祖父が呼ぶ蒲田(カバタ)がどうしても別の場所だとは思えず、いつまでも田端と蒲田は同じ場所だと思い込んでいました。
by 村尾鐵男 (2010-06-07 13:59) 

ぼくあずさ

村尾鐡男さん 晩酌の肴が蒲焼の皮、贅沢ですね。田端から上中里まで田端機関区、尾久機関区が続いていました。機会を作って歩いてみます。確か、今は田端大橋の脇にJR東日本本社の高層ビルが建っています。
なお、私の田端機関区見学は縁故疎開前のことで記憶はありません。
by ぼくあずさ (2010-06-07 15:07) 

村尾鐵男

ぼくあずさ氏へ
本文に掲載された写真の木彫人形は増戸村で買われたものでしたね。サルスベリの木から彫ったものですか。サルスベリの木がこんなに太いとは知りませんでした。とは言え、写真に比較する物がなくて、人形の大きさが判りませんが。
ところで、この人形は幾らするのでしょうか。
by 村尾鐵男 (2010-06-07 19:08) 

ぼくあずさ

村尾鐡男さん 庭のサルスベリは樹齢40年程の、まだ幹も細く、切った枝も直径15mm 程です。旧五日市町深沢で買い求めた木彫り人形は一対で5,000 円でした。こっそり撮影した美術館内で売られていた人形の写真に入替え掲載しました。大きさがお分かりなると思います。
by ぼくあずさ (2010-06-07 20:26) 

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