SSブログ

三浦半島:磯Wanderung [フリューレン村だより]

                       .by ぼくあずさ


三浦海岸駅→ バス→ 剣崎バス停→ 徒歩→ 間口漁港→ 剣崎灯台→ 磯→ エナビレッジ→ 松輪海岸バス停→ 毘沙門入口バス停→ 毘沙門茶屋→ 磯→ 盗人狩→ 宮川港→  宮川町バス停→ 三崎口駅

久しぶりの剣崎灯台と磯歩き、サザエと地タコの購入と磯料理が楽しみ。

.

IMG_2656.JPG季節外れで人気の少ない三浦海岸駅下車、ほぼ1年ぶり。剣崎を通ることを確認しバスに乗り込む。間違いなく海岸回りだ。昔はバスを利用せず、三崎魚市場まで歩いた。今は無理をしないことにしている。

.

剣崎バス停から剣崎灯台までの歩き慣れた道、途中から坂IMG_2654.JPGを下り間口漁港へ。初めての魚市場、漁船の帰港は午後とのごとで生簀に魚はおらず。ビニール袋に入れたサザエをぶら提げて、灯台への間道を登る。


IMG_2659.JPG灯台から東京湾を隔て、房総の富山の美しい姿を暫し眺める。立原正秋の「剣ケ崎」の暗さはない。眼下の海上には乗合釣り船がいる。此の辺りは東京海底谷の崖上なのだろうか。中国潜水艦が潜んでいるかも知れず。昨日の読売の一面を思い出す。IMG_2662.JPG早大北九州キャンパスは、中国の有名大学からの優秀な留学生が85%゙を占める。

.


IMG_2657.JPG水のしみ出す谷径を海岸まで下る。途中、保元の乱(1,156年)の罪で伊豆大島に島流しになった源為朝が鎌倉に向けて射った矢が誤って落ちたという言い伝えがある「矢の根の井戸」がある。列島が大陸とIMG_2666.JPG繋がっていた2万年前は、海面は今より160㍍程低かったというから、どんな景色だったのか想像もつかない。



 

IMG_2665.JPG磯に下り、振りかえると白亜の灯台が早、岬の上に形よく納まっている。写真をパチリ一枚。磯伝いの道、岩の上が僅かに丸みをおびているのだが、確かに長い年月、人が歩き続けた証拠だ。浜大根の花が,此処彼処に咲いている。試しに根を確認したが、三浦ダイコンではない。

.

IMG_2670.JPGエナビレッジの松輪は空々、GWで散財と休日でないからなのか。キンメダイ刺身定食を注文、さてさて大盛りだろうか?! どうも営業方針が変わったのか、それとも不漁なのか。新鮮さは変わらず。先が長いのでビーアは飲まず。

市場で㌔1,500円のサザエが、ここでは大きいのが1,300円。

.

IMG_2667.JPG定刻どおりの14:08バスに乗り込む。毘沙門入口バス停より200㍍先の急な小径を下り、右折して毘沙門湾岸の大道を南下。港の中を通過して再び磯に出る。断層崖の下は白色の広い平らな岩盤の上を盗人狩へ向かう。飛沫も物ともせず岩の頂きに多くの釣り人が見える。チヌ(クロダイ)釣りなのだろうか。暫く見物したが、魚は昼寝しているらしい。

.

長年、ここでチヌを釣り続けている友人に聞いていた、70 数回に1回の大浪に襲われた。水際より10 ㍍も離れた岩畳に水溜りが出来た。近くの釣り人は大浪の被害なし。どうやら、此の辺りの波の動きを知り尽くしているのだろう。デジカメが音と光で異常を告げ、盗人狩の撮影を諦める。

宮川港から、急な坂を登る。20分ほど待ってバスに乗り帰路につく。Heute habe Ich Pech gehabt.

.

中学写真部四人組:三浦半島めぐり

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2009/03/post_9c8a.html 

東京海底谷

http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2008/09/post_933a.html


nice!(0)  コメント(6)  トラックバック(2) 
共通テーマ:blog

nice! 0

コメント 6

村尾鐵男

ぼくあずさ氏へ
懐かしい場所の探訪記を拝読しました。その昔、今の保土ヶ谷に落ち着く前、馬堀海岸を振り出しに住いを探して歩き回り、ご紹介の一帯を幾度か訪ねました。住むには恵まれた場所ですが、通勤にはいささか辛い場所で断念したのを思い出します。
by 村尾鐵男 (2010-05-15 08:24) 

ぼくあずさ

村尾鐡男さん 横々道路が建設前では、車通勤は無理ですね。獲れたばかりの活魚を買い求めたり、海鮮料理を食べる処、汐風に吹かれながらの磯めぐりも楽しめます。
by ぼくあずさ (2010-05-15 18:51) 

村尾鐵男

250cc単気筒のバイクで三浦半島を走り廻りました。35年ほど前のあの頃、鎌倉、逗子、葉山、さらに南下して油壺、城ヶ島、帰りの道程を忘れて走ってしまい、浦賀から久里浜、横須賀へと戻り、ぼくあずさ邸の近くの国道16号を北上する頃にはヘトヘトでした。何しろ単気筒は振動が大きく、それだけで疲れます。今の年齢ではとてもできないことです。
by 村尾鐵男 (2010-05-15 20:20) 

ぼくあずさ

村尾鐡男さん オートバイや愛車の数々を乗り継がれたことはお聞きしていますが、旅客機の操縦はされたのですか。一昨日の剣崎では、エンジン付きハングライダーが飛んでいました。
by ぼくあずさ (2010-05-15 21:03) 

村尾鐵男

ぼくあずさ氏へ
既に30年以上が経って時効になっているでしょうから白状しますが、内緒で軽飛行機とヘリコプターを操縦しました。
軽飛行機はサンフランシスコ郊外の飛行場から飛び立ち、カリフォルニア半島上空を飛びました。風が強く少々怖ろしい飛行でした。
ヘリコプターは国内某所の、大きな川に沿って溯上する飛行でしたが、この経験から、飛行機を自ら操縦することはそれほど夢中になることでもないと知り、オートバイの方がはるかに楽しいものと改めて確認しました。
by 村尾鐵男 (2010-05-16 07:09) 

ぼくあずさ

村尾さん カリフォルニア半島はメキシコシテイでの商談の際に機上から眺めました。軽飛行機を操縦して低空からの景観は、それはそれは日本にはないもので、印象が強いものと拝察します。私は戦時中の記憶から軽飛行機のプロペラ音は好きになれません。ヘリコプターは遊覧飛行でさえ、怖さが先に立ち、搭乗しません。
三菱電機に就職した浜野賢さんの八王子の実家にNSUを駆って訪ねた時は、顔面が煤だらけになり、それ以後のオートバイでの遠出はやめました。
by ぼくあずさ (2010-05-16 10:19) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 2

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。