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春秋左氏伝 -2 [稲門機械屋倶楽部]

                      2010-05-04 MEW36 村尾鐡男

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君子屢盟、亂是用長

〔君子屢(しばしば)盟(ちか)う、亂(ラン)是(ココ)を用(モ)って長ず〕〈上に立つ者がしばしば約束を変えると、ここに乱が生ずる)

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まことにその通りです。今日、その実例が永田町の首相官邸で演じられており、乱は沖縄の名護市や徳之島に生じております。

世間ではよくあることですが、何処かの企業で経営者が交代した後、新しい経営者がその存在を社内と世の中に知らしめるために、不要な経営方針を示したり、前経営者の残した経営策を意識して変更することです。先ず間違いなく社内は混乱し、取引先には迷惑を及ぼします。勿論、経営者ですから世の変遷に従った経営策を建てる必要がありますが、前経営者の事績を踏襲し、その上で変えるべきものは変えるのが常道です。自己を顕示するための無意味な経営方針の変更は必ず混乱を招くだけで、何の益もありません。

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【信不継、盟无益也】

〔信、継がずんば、盟(チカイ)も益无(な)しなり〕

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安政5年(1858年)、横浜金沢の小柴浜沖に来航した米艦ポーハタン号の艦上で、幕府代表の下田奉行井上清直と目付岩瀬忠震(タダナリ)が米国領事ハリスとの間に「日米修好通商条約」を結び、翌安政6年には「安政五カ国条約」が米、露、蘭、英、仏との間に結ばれました。しかし、この条約は日本に関税を定める権利がなく、叉、外国人への裁判権がない等の不平等条約でありました。

この不平等条約が是正されて改定されたのは、幾度もの紆余曲折と挫折を繰り返した後の明治44年(1911年)、第二次桂太郎内閣のとき、外相小村寿太郎の尽力によるもので、安政5年の条約締結以来53年が経過していました。

明治維新政府はまさに政権交代で誕生した政府で、前政権である徳川幕府は、今の民主党が見る自民党政権以上に仇敵であり、幕府が結んだ諸外国との条約等は一方的に反故廃棄しても痛痒を感じないはずでした。

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ところが、明治政府は条約を廃棄するどころか、実に根気強くこれの改定に努め続け、日露戦争による日本国家の国際的地位の向上を背景にしてようやく実現させたのであります。それはまさに〔信を継ぐ〕ことの重要性を知っていたからであり、革命に近い明治維新を以てしても、国際的には日本政府が連続しており、明治維新を境にして、日本が別の国になったのではないことを自ら認めていたからであります。

翻って、民主党政権が徒に弄ぶ普天間基地移設問題は、まさに稚児の悪戯に等しいもので、如何なる〔益无(な)し〕であります。

(3)に続く


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コメント 3

ぼくあずさ

村尾鐡男さん 本論から外れて申し訳ありませんが。記事中にある小柴の地名の由来について拙blogに詳しく書いてあります。ご参考まで。
金沢文庫ぶらり・寺めぐり(5)
http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2006/09/post_7ea6.html 
富岡八幡宮
http://flueren.blog.ocn.ne.jp/dorf_flueren/2006/05/post_250a.html 

by ぼくあずさ (2010-05-04 20:43) 

村尾鐵男

ぼくあずさ氏へ
小柴の地名由来、早速拝見し、なるほどを唸っております。ところで、今朝の新聞で小柴浜の近辺でシャコ漁が解禁になったと伝えております。海の汚れがなくなってシャコが戻って来たのなら嬉しいことです。
by 村尾鐵男 (2010-05-04 21:00) 

ぼくあずさ

村尾鐡男さん 明日にも確かめます。久しく食べていません。海底近くの酸素濃度が低下、アナゴは泳いで沖合の狭い処に集まっているので、大漁続き、シャコは逃げられず死滅したと聴いておりました。どっこい何処で生き延びたのでしょうか。昔は漁師さんから、食べ切れないほど年に数回頂いたものです。
by ぼくあずさ (2010-05-04 21:36) 

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