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御家人株の売買 -3 [稲門機械屋倶楽部]

                                        2010-04-07 MEW36 村尾鐵男

勝海舟

小説や映画やテレビ・ドラマにも度々登場する勝海舟は世間でよく知られた存在ですが、決して高位の武士ではありませんでした。

勝海舟の父親勝小吉は旗本男谷平蔵の妾腹に生まれた三男で、7歳のときに僅か41石取りの旗本勝甚三郎の養子となりました。しかし、男谷家の二代か三代前は越後の農民で、生来盲目であったため江戸へ出て検校になり、盲人だけに許されていた高利貸しで貯めた金で男谷家の株を買ったと伝えられます。

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勝海舟の父親勝小吉は一生を小普請組で過ごしており、生家が剣で知られる男谷家であることから、刀の目利き等で生計を立てていたそうです。

勝海舟は、父親が喧嘩だけが取得であるのを見て育つのですが、父親の実家である男谷家で剣術を修行し、直心影流の免許皆伝者となります。

その後の勝海舟については、ここに書くには及ばないことですが、蘭学の習得に励み、オランダ語の辞書二冊を筆写したとの記録があります。幕末の頃、オランダから取寄せる辞書は甚だ高価で、如何に志があっても、御家人とか下級の旗本では買えなかったものです。誰かにオランダ語の辞書を借りて、これを筆写するのですが、二冊を複製して一冊を自分用とし、もう一冊を売れば50両になったそうです。

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樋口一葉に始まって縷々と記しましたが、幕末の激動期に国を救ったのは川路聖謨や勝海舟のような下級武士であり、明治の日本を世界に認めさせたのも萩(長州)や薩摩の下級武士出身の者達や賊軍と呼ばれた幕府から登用された多数の有能な下級武士達でした。 

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明治7年(1874)に陸軍士官学校が創設され、明治9年(1876)には海軍兵学校も開設されましたが、この二つの学校は出自の如何を一切問わず、成績優秀であれば入学できて、任務に就いてからもたとえ農民の子でも、商人の子でも、平等に任務を遂行できました。それは明治の為政者が国の為に役立つのに家系とか父親や祖父の偉業は無関係であると知っていたからで、むしろ下級武士が維新を成し遂げたことに誇りを抱いていたからであり、国を救う者に家系や出自は邪魔であるとも考えたからでありましょう。

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現在、国会には世襲の議員が大勢おり、中には三代目になる者もおります。政権をだらしなく投げ出して国家に多大な混乱を招いたのも世襲の者達でした。遺伝子には生物的遺伝子と社会的遺伝子がありますが、社会的遺伝子は広範な鍛錬がないと、代を重ねて腐敗し奇形化するようです。国家が国難に見舞われているときに、雑草のような下級武士の出現が望まれ、且つ期待されます。

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ぼくあずさ

多くの読者に読んで欲しい記事です。
by ぼくあずさ (2010-04-07 01:02) 

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