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御家人株の売買 -2 [稲門機械屋倶楽部]

                                            2010-04 MEW36 村尾鐵男

小普請組

徳川幕府の組織に小普請組がありました。今流に言えば窓際族でしょうが、今日の窓際族は概ね管理職で、それなりの仕事も割当てられています。しかし、小普請組に属する者には役目が割当てられておらず待機組とも言えます。下級武士はこの小普請組から出発して、己の力量を組頭に認められて一段階ずつ登りました。小普請組から何かの職に就くことを「番入り」と称しましたが、徳川幕府傘下の御家人は江戸に住む者だけで2万人を越えており、一方、幕府の役職は500ほどしかなかったとの記録があり、想像を越える就職難でありました。幕府の役職は大きく分けると、番方と役方になります。番方とは戦闘集団を成す武官であり、役方は勘定方で代表される能吏であり文官でありました。

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世の中が泰平に過ぎれば、必然的に番方の出番はなくなり、組織も縮小します。元来、旗本と御家人は戦闘集団であり、徳川幕府が危急に臨めば、真っ先に刀槍を持って戦地へ赴くことを義務付けられ、その覚悟もできていたのですが、永く続く泰平の世では戦闘もなく、戦闘要員の待機所である小普請組は職探しの場と化していました。しかし、如何に泰平の世とは言え、名のある大名や由緒ある譜代旗本の地位が売りに出るはずはなく、売買される武士の身分は大半がこの小普請組に属する下級旗本か御家人のものでありました。

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川路聖謨

川路聖謨(としあきら)は幕末に一、二を競う有能な官僚であり能吏でもあり、勘定奉行や外国奉行も歴任し、幕末の外国との折衝で活躍しております。叉、川路聖謨の実弟である井上清直は下田奉行を務め、米国初代領事であったタウンゼント・ハリスやその通詞であったヘンリー・ヒュースケンとの折衝を無難に果たしております。

この川路聖謨は農民や商人ではなく、実父は豊後日田の代官所で働く下級武士であった内藤吉兵衛ですが、江戸へ出て小普請組川路三左衛門の御家人株を買い、長男聖謨をその養子としました。幕末に来航したロシアのプチャーチンは折衝相手であった川路聖謨の教養と人柄に惚れ込み、その肖像を描こうとしました。当時は写真術が未だ普及しておらず、来航する外国船には日本を描いて記録するための画家が乗船しておりました。

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これに対して、川路聖謨は「自分のよう醜男の絵が残ると、日本の男が総て醜いと思われる」と言って断わったことが記録に残されています。僅かに残る川路聖謨を見ても、世辞にも美男とは言えません。

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御家人株の相場

御家人にも高低様々がありますが、最も地位の低い同心の株が200両ほどであったようです。1両が今の10万円として2000万円です。一つ上の与力の株は1000両、1億円にも相当します。

(3)に続く


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