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日本解体三法案(2):永住外国人地方参政権付与法案 [稲門機械屋倶楽部]

                                  ・・・ 2002-02-27 MEW36 村尾鐵男

「永住外国人地方参政権付与法案」については、〈ぼくあずさは地球人〉でも今までに数々の議論が行われ、その法案が持つ民主党の党利党略性が既に暴露されております。

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永住外国人と言っても、その数から事実上は南北朝鮮人と中国人が対象となり、彼等が本国政府の意図に従って集団的に居住地を定めたときに、その地方の政治が彼等に牛耳られて翻弄される危険が濃厚であります。そもそもこの永住外国人への地方参政権の付与は、最高裁判決に付された傍論によって憲法に反しないと理屈付けられていたのですが、その傍論を主張した判事その人が今やあの傍論は誤っていたと告白し、外交的に軋轢の多い中国と韓国を宥める意味合いがあったと言っております。裁判官にあるまじき思い上がりですが、誤りであったと認めただけでも、少々遅きに失してはいますが、良としましょう。この最高裁元判事の告白によって、「永住外国人地方参政権付与法案」を、日本人でありながら、その法制化に何故か積極的にのめり込んでいる者達の理論的基盤がまさに崩れようとしており、元々は納税に報いるとする屁理屈にも等しい理論武装であったのですが、彼等がこれから先、如何なる屁理屈を導き出すか、大いに注目しなくてはなりません。

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福沢諭吉が唱えた「脱亜入欧」は中国人や当時の朝鮮人への偏見や差別によるものではありません。千五百年ほど前に、聖徳太子が小野妹子を隋に派遣した折に持たせた文書は有名な【日出処天子至書日没処天子。無恙云々】で始まっております。「日出ずる処の天子、日没する処の天子にこの書を致す。恙なきや」、私達の誰もが知っている古今東西屈指の名文であります。

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この日本から発せられた外交文書を読んだ隋の煬帝は激怒したと伝えられておりますが、聖徳太子は外交の要諦を知り尽くしていたと思われます。隣の強大国隋に対して、媚びることもなく喧嘩を売ることもなく、宥めて与えることもなく、適度な距離を保つことに腐心した結果、我が国が中国国内の喧騒とドタバタから影響を受けずに終始できたのであって、今の世にわざわざ中国人を、たとえ日本に永住していようとも、その者達に日本人と同等の権利行使を認めれば、我が国が中国との間に苦心して保ち続けた〈適度な距離〉を自ら消失させる危険が極めて大であります。

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一方の朝鮮半島、これも日本にとっては常に災厄の因となり続けた歴史を持ち、日清・日露の両戦役も朝鮮王朝が自主性を欠き、加えて小中華思想にしがみ着いた自己喪失外交に我が日本が危機感を持ったことに因ります。

日本は、残念ながら、地政学的に厄介な諸国に隣接しておりますが、幸いにして海で隔てられているので、私達が確固とした近隣外交感覚を持てば、朝鮮半島の異変や変事、或いはその外交上の振れから直接の影響を受けることは最小限に止めることが可能であります。

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要は、中国にも韓国にも、叉、北朝鮮にも、接近し過ぎないことであり、ましてや私達の方から彼等を引き入れる愚は避けなくてはなりません。さもなければ、国家百年の計を誤ることになります。

(3)に続く


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