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アメリカ留学時代:1957年製アメリカンフォード(3 [安曇野だより]

                                                                                   ・・・・・下山成人記.

只一度だけこの車で大きな事故を起こしたことがある。まだ購入して間もないころ広い一方通行の道を走っていた。この一方交通の道はなんと8車線であった。右から4車線目を走っているうち4車線・4車線の対面道路の中央線に沿って走っている錯覚に陥ってしまった。目的地に行くには左に曲がらなければならなかった。左側4車線には当然ながら向かってくる車は一台も見えない。私は後ろを振り返らずに左にハンドルを切った。ドーンと言う音がして衝撃を受けた。左側4車線は対面路線ではなく同じ方向の車の走る車線だったので左側を後ろから走ってきていた車に追突されたのであった。衝撃でハンドルを握っていた手の指からは血が流れていた。左の小道に曲がり停車した。追突してきた車も後ろに止まった。 

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アメリカでは事故を起こしたときは自分が悪くても決して謝ってはいけないと聞いていたが勘違いして後ろも見ずに左折したことを謝った。さぞどやされるものと覚悟していたが後ろの車から降りてきた人は穏やかな人で留学生が車線を勘違いしたことを理解してくれ保険の手続きをごく事務的に終えると「これから注意してください」と言って去って行った。 

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追突されたのは左の後部車輪の上でボディーがへっこみ、タイヤに擦れていた。工具を取り出し凹んだ部分を内側からたたき出すとタイヤがすれなくなり元通り走れるようになった。その後はそれを修理することなく車を失うまでそのまま乗っていた。 

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この愛すべきフォードの最後は壮絶であった。韓国から来ていた留学生の李さんが私の車でスポケーン(シアトルの東約50キロにあるワシントン州第二の町)迄一緒に行ってくれと言う。付き合っていたアメリカ人の彼女が実家のあるスポケーンに帰ってしまったので迎えに行きたいと言う。李さんと彼女はかなり深い仲になっていたし私も彼女のシアトルのマンションに招待されご馳走にもなっていたのでOKすることにした。しかしよく話を聞くと李さんが彼女に暴力を振るい彼女が愛想をつかして実家に逃げ帰ったのだという。 

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「彼女も君の事は信頼しているから、暴力を振るうのは韓国の愛情の表現だと彼女に説明してくれ」と言う。そんな嘘はつきたくないと思ったがOKした後だったのでスポケーンに向け出発した。当然日帰りは無理なので泊まりとなる。李さんはアルバイトでYellow Cabtaxi)の運転手もしていたが運転が乱暴でよく事故を起こしていた。

(4)に続く


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