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家族が若い頃の出来事。 [秋川の流れ]

父が早逝した私、母の断片的な話を繋いで家族が若い頃の出来事を確認。

1.父は甲種合格で新潟新発田で入隊。

2.若槻内閣、軍縮の時代の時、こっそりと駅から港へと隊列を組んで移動。道すがら父が落とした母への手紙が届いた。私の誕生より8年前の1931年のこと。父は豆満江の南岸、軍都羅南で兵役を務めた。私の兄姉は三河島時代に誕生。

3.2歳児の私は名を呼ばれると「ぼくはぼくだ。」と答えたことから田端の実家の近所ではぼくちゃんと呼ばれた。

4.父は気が弱くない、元気な息子に材木屋を継がせたいと考えていた。兄と私は不合格。男子誕生を期待して自宅2階に登ってた来た父はお産婆さんが「お嬢さんが生まれた。」と聴くや階段を下りてしまった。次女と私は田端生まれ。

5.1917年3月17日、米空軍B24による東京空襲、母と私は自宅敷地内の防空壕内で近くの赤レンガ変電所に投下された爆弾の爆発音を聴いた。6.母は父を残して次女と私を連れて母の実家へ避難した。兄と姉は先に縁故疎開していた。

7. あきる野の最奥にある増戸村伊奈の上空を帝都爆撃に飛ぶB29の編隊が甲府方面から 飛び始めた。東あきる野高射砲陣地からの弾はB29の飛行高度より低い処で破裂。帝国空軍の戦闘機の急降下体当たり攻撃でB29の主翼がもげてヒラヒラ落下するのは極 稀なことでした。首尾よく体当たり攻撃に成功しても,敵機B29 は煙を吐きながら高度を 落としながら逃走しました。帝都が火の海になり、夜間でも新聞が読める程の明るさでした。終戦の年、細長い栗の花が雨に濡れた地面に落ちている頃、突然父が現れ、私を抱き上げて呉れました。

8月15日、本家の庭に面した廊下の中央に置かれたラジオから天皇陛下のお言葉を近所から集まった人達に混じって私も拝聴した。米国との戦争に日本が負けたことを 知りました。

 



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