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【帝都初空襲の地】旭電化尾久工場跡地を歩く [戦争の記憶]

                       byぼくあずさ
父は兵役で不在、兄姉は増戸村にある母の生家に縁故疎開、母と私は田端新町の家の
防空壕にいた。空襲警報のサイレンが鳴り、突然の爆弾が破裂音で外に出ると見慣れぬ
戦闘機が学校の屋根すれすれに飛び去る。爆弾は後にB25 から近くの赤レンガ、尾久
変電所に爆弾が投下されたことを知る。
次女を身ごもっていた母は3歳になったばかりの僕を連れて増戸村に逃れた。
後に早稲田に入学、2年生夏休みに旭電化尾久工場脇の早稲田大学艇庫に通い、ナックル
フォア―を漕いだ。オリンピック出場艇「富士号」が保存されていた。

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