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ジャポニカ米と雲南人 [日本人とは]

                          by ぼくあずさ

雲南省棚田日本人のルーツを探ってると食料の変遷に思い至る。一番上の写真はベトナム、ラオスに隣接する中国雲南省の棚田です。
2番目は愛媛県内子です。一番下は台北近郊の棚田です。
いずれもイネの成長に不可欠な淡水を最大限利用する工夫と、山岳愛媛内子棚田
地帯を稲作に作替え、其処に住む人々の幾世代も続く労働の結晶。
天津大学機械科の張教授にお会いする度に「雲南省の山岳地帯から若者がイネ種を携えて黄河を下り、天津で未知の黄金の島へ渡る準備を整えて小舟に乗って黄海を渡り朝鮮半島の西岸辺伝い台北棚田に九州を目指した。首尾よく渡航に成功した雲南人は縄文人部落に受入れられ、結婚して子孫を残した。」との自説を聞かされた。

最近の研究によれば縄文人が九州から対馬を経て朝鮮南部に住みついたと言われる。中国や朝鮮で作られない日本独特の縄文土器や九州で産出される乳白色の黒曜石の細石刃が縄文遺跡から出土されている。

張教授の日本人は雲南人の男性と現地女性との混血説の信憑性が高いと言わざるを得ない。だが待てよ、ブリヤード族が北海道を経て日本本土、九州、沖縄に縄文人として繁栄したことを併せ考えると、雲南人の血の痕跡を見つけることは至難なこと。

若いころ訪ねた渥美湾の篠島や伊豆八丈島・大島で土地の方から聴かされた話、「お父ちゃんは若いころに内地から来た大工。」を想い出す。
新しい血をもたらす雲南人の若者は縄文人部落にごく自然に受け入れられたに違いない。


ぼくあずさのコメント:
  
(1)稲作は朝鮮半島南部よりに九州に伝えられたという従来の説は
     誤りであり、縄文人が朝鮮半島南部に伝えたらしいことが分かりま
   した。
(2)この仮定のもとに検証を次のブログ記事で紹介します。


稲作が朝鮮半島から日本に伝わったいう教師は中学地理をしらない
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/170.html
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旅爺さん

日本の文化は中国→ロシア→当時はカムチャッカと地続きの日本に伝わったと聞いて信じてました。その名残がアイヌ人だとも。ルーツをたどるのは楽しいですね。
by 旅爺さん (2014-12-20 10:25) 

村尾鐵男

稲作が朝鮮半島を経由して日本へ伝わったとする説は間違いでしょう。いずれ結論が出るぼくあずさ氏の続編に期待します。
その昔、土産にもらった朝鮮米を食べたことがありますが、その不味いこと。品種改良を怠っていると言われる台湾米の「蓬莱」の方がよほど美味いです。
by 村尾鐵男 (2014-12-20 11:42) 

ぼくあずさ

旅爺さん
コメントありがとうございます。学生時代に訪ねた阿寒湖畔のコタンに
住むアイヌ人たちは今どうなっているのでしょうか。ピリカメノコを和人が
犯すトラブルが頻発しており純血アイヌ人が減少していると聴きました。
by ぼくあずさ (2014-12-20 17:41) 

niki

目からうろこのとても興味深いお話ですね!
稲作は半島から伝えられた、と学校で習いました。でも違ったのですね。
思うに、世界四大文明の時にはすでにほかにも大文明がいくつか存在していたというし、科学の力で今まで言われてきた説の真実がさらに解明されていけば面白いですね。

海外にはDNAのルーツを調べてくれるものがいくつかあるらしいです。
私もナショナルジオグラフィックのジェノグラフィックプロジェクトで調べたことがあるのですが、2,3万年前にバイカル湖周辺で発生した、日本人の6%に当たるタイプだと結果が来ました。

この雲南人は約4万年前に発生した、縄文人の祖先にあたるDNAを持ったタイプなのですね、きっと。
by niki (2014-12-21 10:42) 

ぼくあずさ

nikiさん
コメントありがとうございました。ジェノグラフィックプロジェクトを
初めて知りました。今執筆中の拙ブログ「検証1」に貴記事への
リンクを貼らせて下さい。よろしく。
by ぼくあずさ (2014-12-21 11:32) 

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